3.11・東日本大震災の被災地、宮城県・石巻市は、コラムニストの木村和久さんが高校卒業までを過ごした地。木村さんが、縁ある人々の安否を自身の足で尋ねながら、震災直後から現在の状況までをレポートします。今回は石巻地区最大の夏祭り、「石巻川開き祭り」についてです。
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子供のころは人生最大の楽しみでしたが、大人になってから改めて参加する祭りはどうか? 実に30年ぶりぐらいでしょうか、感慨もひとしおです。
そもそも川開きとは、今から約400年前、伊達政宗の命を受けた普請奉行、川村孫兵衛が北上川を掘削して、今の姿に流れを変えた。その北上川改修を称えつつ、水難者の供養をしようと、大正時代から「川開き」と呼んで、お祭りを開催しているのです。
祭り前日は、東日本大震災の被災者の供養と、灯籠流しが行われ、おごそかな前夜祭となりました。以前から灯籠流しはありましたが、今回は流灯だけで、1万5000個と相当な数です。日没と同時に上流の数か所から続々と、灯籠を流し始めます。
そして街中の下流に灯籠が着くころは、日もどっぷり落ちて、灯籠がくっきり浮かび上がります。灯籠のひとつひとつに、ろうそくが灯されてあり、芸が細かい。水面にともし火が映し出されて、幻想的な風景を見せてくれるのです。
灯籠の数は、陸上の置き灯籠と合わせるとざっと2万個。東日本大震災で亡くなったり、行方不明になったかたがたの数と、くしくも一致します。まさに灯籠ひとつひとつが、魂なのです。
手を合わせて、ずっと祈っている人も多数いらっしゃいました。非常に切ないですね。
石巻の灯籠は、川に流す流灯のほかに、地元の小学生に絵や文章を書いてもらった、置き灯籠も多数あります。まだ明るいうちから家族連れが、息子の書いた灯籠を探していましたが、何せ数が多くて、自分の子供の灯籠を見つけられません。
そんななか、何気なく発見した灯籠にびっくりです。画用紙に父親らしき人物が描かれて、コメントが。
<てんごくでもビール飲んでいるかな>って書かれてありました。お父さんは震災で亡くなられたのでしょう。明るくビール飲んでる? と振る舞ってる子供さんの姿がいじらしいじゃないですか。見ず知らずの子供の灯籠に、私は泣かされてしまいましたよ。
灯籠を見た後、旧市内をそぞろ歩きます。ビールを売っている同級生を発見。やっぱり自分の生まれた街ですよ、誰かに必ず会うんですから。
今回の川開きは、前夜祭から旧市内部分を歩行者天国化して、屋台を沢山出して、お客さんを呼び込みます。その商店街の歩道の脇には、置き灯籠が何百、何千と灯され、市内の照明が少ないせいか、きらきらとても目立つのです。
ろうそくですから、風が吹いて消えたり、あるいはろうそくが燃え尽きたりすると、ボランティアがすかさず灯を点火します。見た目はきれいな灯籠ですが、これを演出するのは、並大抵のことではできません。
多数のボランティアスタッフのおかげです。ほんと頭が下がります。街は浴衣を着た若者が多数います。この日を楽しみにしていたから、親が着せて送り出したんでしょう。さあ明日は本番の花火大会、とてもとても楽しみです。
川開き当日です。中学生のころ、花火大会は夜なのに、昼には興奮して街に繰り出して屋台で遊んでいました。高校生になると、色気もつき誰と川開きを過ごすかが、最大のテーマになっていました。石巻の思い出の全てが、川開きに凝縮されています。
正午ぐらいから、石巻のメインストリート、立町商店街は歩行者天国となりパレードが始まります。郊外のスーパーに客を奪われて、シャッター商店街化していた矢先の大震災でしょう。
もう商店街は終わったと思ってましたが、沢山の見物客が来てくれて、まだやれそうな気もします。非常に嬉しいです。パレードの多くは地元の小学校の鼓笛隊です。今はボーイスカウト風に、団旗もかっこよくなり、市内全部の小学校が参加しています。
自分たちの子供の晴れ姿を見る意味では動員をかけられますが、他県の観光客を呼ぶ祭りにまでは、なかなか発展しませんね。
※女性セブン2012年9月13日号