ロンドンオリンピックの男子サッカーの日韓戦で韓国選手が、竹島について「独島はわれわれの領土」と書かれたボードを掲げ、フィールドを駆け回った。このオリンピックの精神に著しく反する行為は、自らを極限まで鍛えたアスリートたちの美しいシーンを一瞬にして台無しにしてしまうものだったと作家の落合信彦氏は指摘する。しかしこの五輪にはこれ以外にも問題があったという。
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試合の美しさを損ねる「審判の劣化」は大きな問題だ。柔道では畳の上にいる審判の旗判定が、場外にいる審判委員(ジュリー)からの指摘で正反対に覆った試合があり、ボクシングでは明らかに恣意的な判定を下した審判が国際アマチュアボクシング協会から追放処分を受けた。この2つの事例は日本選手が絡む試合だったが、「最終的にはどちらも日本が勝ったからよかった」という話ではない。
本来きちんと黒子に徹してルールを厳格に運用すべき審判がこの状態では、試合の美しさは台無しとなる。4年後のリオデジャネイロ五輪までの大きな課題だろう。
安易なナショナリズムに流されない、本当に国を愛する日本人ならば、今回の五輪からは多くを学び、そして将来に生かせるはずだ。
東京は2020年の五輪開催地に立候補した。どうせ招致活動をするならば、施設の水準や利便性ばかりをアピールするのではなく、成熟国家として美しさと品格ある五輪の実現を掲げてもらいたい。
今回のロンドンでも地元・イギリスの選手を贔屓するホームコート・ディシジョンが目に付いたが、そうしたものを一掃するアピールもいいかもしれない。「武士道」の国として、つまらないナショナリズムには縛られず、人類の絆を強め、人間の素晴らしさを謳いあげるような五輪を実現させるのであれば、それは真の五輪の目的とその精神に近付くことになろう。
試合に勝って竹島の問題を騒ぎ立てる韓国のような国ではできない、美しく品のあるオリンピックが、日本であれば実現できるはずだ。
※SAPIO2012年9月19日号