大使の乗った車が“襲撃”されることなど先進国ではそうそうあることではない。万が一発生したとしても、捜査当局はそれこそ国の威信をかけて早期の解決に動くだろう。だが、中国ではそうはいかない。中国に詳しいジャーナリスト・富坂聰氏が解説する
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香港の活動家による尖閣諸島への上陸事件を受けて、中国では反日デモが二週間続いて起きた。そんな反日ムードが高まるなか新たに発生したのが丹羽宇一郎大使の乗った車の襲撃事件である。
当日、北京の第四環状線を走っていた公用車は二台のドイツの高級車(一台との説もある)に幅寄せされて停止を余儀なくされた。そして大使の車が止まると、幅寄せした一台の助手席から降りてきた男が車にあった国旗を持ち去ったというのである。
大使に同行した職員が車のナンバーと男の写真を撮って中国の公安に提出したため、事件はスピード解決が期待された。
だが、事件から二日を経たいま(この原稿を書いている現在)も、犯人に関する情報は少なく、中国側から伝えられたのは「男女数名であり、犯人を特定している」という情報でしかない。日本の新聞は、これらとともに犯人が行政処分になるとの憶測を記事にしている。
ここで犯人について書くことは難しいが、いずれにしても中国の事情は日本人が考えるほど単純ではないことを記しておきたい。
まず、中国でドイツの高級車を乗り回す人物といえばどこかのボンボンか成り上がりがすぐにイメージされる(それが犯人というわけではもちろんないが)が、そういう立場の人間はおしなべて、公安などさまざまな権力との“水面下の関係”を構築している。それはビジネス上のライバルとの抜き差しならない争いになったときや国家権力に狙われたときの保険としてどうしても必要だからだ。
つまりドイツの高級車と聞いた瞬間、乗っている人間は少なくとも交通違反程度ならば瞬時にもみ消せるくらいの“力”を持っていると考えるべきで、公安ナンバー(あからさまに書いてなくとも一目でそうだと分かるナンバー)を譲り受けていた可能性さえある。これがあると、渋滞の高速道路のすき間を我が物顔で走り抜けることができる。
簡単にいってしまえばこういうことだ。公安当局としては「大使の乗った車から国旗を持ち去った高級車を乗り回す若者」と聞いた瞬間、自分たちへのとばっちりがまず心配される状況なのだ。
この懸念はさまざまな権力に及ぶため、犯人を外に出すまで極めて慎重にならざるを得ない。また、政府とは関係なくとも、もし軍と関係していれば問題は一層複雑になる。
そもそも中国の公安には日本のように情報を早く出さなければと言ったサービス精神はない。それを感じるのは中国外交部だけで、公安との温度差は顕著だ。こうした状況に少しでも慎重に犯人とその処分を政治的な判断したい政府の思惑が重なり、日本人にはなんとも悩ましい展開となったと考えられる。
中国と一口に言っても、公安と外交部、そして政権はそれぞれ違って立場からそれぞれの利益を追求している社会なのである。