全国の名だたる豪腕ピッチャーを訪ね歩き、「球の味」を文章に認める。“流しのブルペンキャッチャー”こと安倍昌彦氏。プロ、アマの垣根を越えて縦横無尽に取材を続ける安倍氏の野球人としての土台は、今から38年前、早稲田大学野球部でつくられていた。
後に巨人のレギュラー捕手となる山倉和博(東邦高)、そして現早大監督の岡村猛らと白球を追いかけ、汗を流した彼が、試合に出ることのない「学生コーチ」の姿を追う。
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学生の身分ながら、選手の指導や相手チームの分析を行うなど裏方作業に徹するのが学生コーチの仕事だ。最上級生の荒谷学生コーチがおどけながら言った。「就活では『ヘッドコーチ』って勝手に言わせてもらってます」番頭さんだね…と振ったら、きょとんとされてしまった。今の若者に「番頭」は賞味期限の切れた言葉のようだ。
メリハリのある受け答えからはリーダーシップの一端がうかがえる。長い時間、日なたに立って、いい汗たくさん流してる。そんな焼け具合。笑顔が弾けている。
「4年生みんなに推薦されて、監督の承認をいただいてなるんですけど、ものすごく抵抗ありました、学生コーチって。せっかく早稲田に入ったんですから、選手として神宮に立ちたいじゃないですか。それが、ものすごくあって…」
中学軟式の雄・桐蔭学園中ではスーパースラッガーだった荒谷学生コーチ。全国大会で活躍していた頃から知っているこちらとしては、彼の「本音」はスッと胸に落ちる。
「安倍さん、学生コーチやってて、何が一番辛いって、同期を叱らなきゃならないことですよ」
練習メニューのプラン作り、新人戦の監督、学生コーチの仕事はいくつもあるが、その中でも、日常の練習の指導者的立場として、ノッカーやコーチとして選手たちを叱咤・激励する役回りも負っている。
「辛いです、正直。ミスだって、一生懸命やった上でのミスってこともわかってるんですから。でも、その場で『これ、言いたくないな。そこまで痛烈に言わなくてもいいかな』と思っても、そこで言っとかないと、必ずあとからそのツケがもっと大きくなって戻ってきます。ならば、今、言っておいたほうがいいと」
火の粉をかぶる役回り。組織の「ナンバー2」にこういう憎まれ役をやってのけられる存在がいる組織は間違いなく強く、耳の痛いことを言ってくれる者ほど、実は誰よりも心強い味方なのだ。
「桐蔭学園高校でキャプテンだった時、まずい事があったら叱らなきゃいけない立場だったのに、下には言えても同期には言えなかった。自分、その後悔があるんです」
同期が同期に叱られてるのを見たら、下はどう思う? しっかりせなアカンって思うやろ。下ばっかり叱ってる上級生なんて、そんなもん、信頼されるわけあらへん──そう諭してくれたのは、2年先輩の学生コーチだったという。
※週刊ポスト2012年9月14日号