【著者に訊け】百田尚樹/著『海賊とよばれた男(上・下)』(講談社/各1680円)
時は1953年3月某日。一隻のタンカーが神戸港を出港した。当時日本で唯一米国メジャーと提携関係になかった民族系石油元売会社〈国岡商店〉の日章丸である。コロンボ沖にて暗号電文を受信した同船は急遽目的地を変更してイラン・アバダン港に入港。そして復路はマラッカ海峡を迂回するなどして英国海軍の追撃をかわし、積載したガソリン1万8000キロリットル等と共に無事川崎港に帰港した。
国や家族にすら秘めざるをえなかった彼らの挑戦を、世に〈日章丸事件〉という。当時イランの石油利権を巡っては国有化を認めない英米が経済封鎖に踏み切るなど、緊張が走っていた。そんな中、イラン側と密かに接触し、両国民の幸福のために石油を買いに行ったのが、『海賊とよばれた男』こと〈国岡鐡造〉である。
見渡すところ敵ばかりの苦境に逆に闘志を燃やした異端経営者の実像に百田尚樹氏(56)は惹かれ、気づけば本書を書き始めていた。
「そんな日本人がホンマにおったんかと。作家として、これほどの物語には生涯に二度と会うことはないと思うくらい、最高最上の素材でした」
巻末の参考文献にもあるように、モデルは出光興産創業者・出光佐三(1885~1981年)。鐡造及び国岡商店の歩みもほとんどが実話に基づき、多くの人物や企業が実名で登場する。
「元々は同業の構成作家に『百田さん、日章丸事件て知ってる?』と聞かれたのが執筆のきっかけです。サンフランシスコ講和条約発効の翌年、失敗すれば倒産必至の航海を敢行し、英米の石油会社に頼らない産油国からの直接輸入の道を拓いた日章丸事件は世界を驚愕させる大事件だったのに、僕をはじめ周囲の誰も知りませんでした。
歴史に埋もれたこの物語は絶対書かなあかんと、資料読みと執筆に丸3か月死ぬ思いで没頭し、本当に3回倒れて救急車で運ばれました(笑い)」
ベストセラー『永遠の0』等で知られる稀代のストーリーテラーを魅了した出光佐三、本書で言う国岡鐡造は明治18年、福岡県宗像郡赤間村出身。神戸高商卒業後、新興の大商社・鈴木商店を蹴って店員3名の酒井商店に丁稚として入った彼は、〈いずれ油の時代が来る〉との信念のもと黙々と働いた。
そんな鐡造に〈六千円は君の志にあげるんや。そやから返す必要はない〉と生涯の恩人となる資産家・日田重太郎は私財を提供し、明治44年、彼は25歳で国岡商店を興す。
創業地には門司を選び、目を付けたのが関門海峡を行き交う〈ポンポン船〉。従来は灯油が使われてきた燃料を安い軽油でも代用できると証明した彼は下関の漁業会社に売り込みをかけ、〈日邦石油〉の規定で門司の特約店は下関で取引できないはずだと躊躇う担当者にこう即答した。〈海の上で売ります〉〈海の上なら、門司も下関もなかですたい〉
「以来、手漕ぎの伝馬船で運んだ油を直接船に給油するサービスで販路を拡大し、海賊と恐れられた鐡造は、〈黄金の奴隷たる勿れ〉の信念を周知徹底する一方で、強かな商人にもなった。
実はある人に言われたんですが、僕の書く小説の主人公たちは全員、闘いまくりや、と。確かに僕自身、困難にぶつかっても逃げずに闘う人が好きです。人生は闘いやと思います。何が何でもガムシャラに働くってカッコええなと日本人にもう一度思ってもらえたら、それだけでこの本を書いた甲斐があるってもんです」
(構成/橋本紀子)
※週刊ポスト2012年9月14日号