3.11から1年半が経とうとしている。108人の児童のうち74人が亡くなった宮城県石巻市の大川小学校に子供を通わせていた母親8人がこの夏、『ひまわりのおか』(岩崎書店刊)という絵本を出版した。
その8人の母親のひとり・みゆきさん(45才)は、小学6年生の理沙ちゃんと小学3年生の昌明くんを津波で亡くした。みゆきさんはあの日、石巻の市街地で仕事をしていた。陥没、浸水などによる通行止めのため大川小学校のある釜谷地区に近づくことができず、懐中電灯や毛布、食料などを持って、津波から逃れるための場所に着いたのは、震災翌日の夕方のこと。理沙ちゃんは、さらにその翌日になって見つかった。
「遺体や遺品など、運び出せるものから運び出しました。もちろんブルーシートも何もない。他のお母さんと一緒に、どこかから流されてきた布とかを切ってかけてあげて。娘は早かったからきれいで、髪に泥とかついてたんですけど、顔は眠ってるような感じでした…」
しかし、昌明くんは、なかなか見つからなかった。みゆきさんは絵本の巻末にこう綴っている。
〈昌明は、捜索に携わってくださったり、心配してくださった方々への感謝の気持ちで、私たちの心が満たされ、怒りが静かに消える時を待つように、ゆっくりと時間をかけて帰ってきてくれました〉
結局、昌明くんが見つかった場所は、学校から少し離れた沼の近く。みゆきさんは、「かわいそうだから」と、その場所にもひまわりを1本植えた。
「子供たちが向こうで安心していられるのは、先生と一緒に楽しく遊んでるはずだからって、自分に言い聞かせているんです。子供たちは、先生と一緒に、絵本の中で生き続けているんです」
絵本に携わった8人の母親のうち、6年生の堅登くんと4年生の巴那ちゃんの母・実穂さん(44才)は、1年6か月経った今も毎日、巴那ちゃんの捜索を続けている。74人中4人の子供たちは、いまだ見つかっていないのだ。
大川小周辺の捜索も、今年3月いっぱいで規模が縮小された。現在、捜索に使用されている重機は2台だけ。うち1台は母親たちがカンパを集めて借りているもので、子供の見つからない家族らの手で操作されている。
作業員と一緒に重機の先を見つめ、何か出てきたと思ったら、手で掘り返す実穂さん。大川小学校の正門前にある祭壇の手入れをしていた実穂さんに声をかけると、「私はまだ子供が見つかっていませんから…」それだけ言って、また作業に戻っていった。
絵本の中で実穂さんは、まだ帰ってこない巴那ちゃんに呼びかけるように、こう書いている。
〈「お父さんも お母さんも おじいちゃんも おばあちゃんも、いろんな人たちに ささえられて、はげましてもらって、まいにち、がんばれています。巴那も 見つけてもらうまで、がんばっててね。きっと、会えるから。まっててね、まっててね」〉
みゆきさんが言う。
「願いは、子供たち全員を見つけてあげることですね。最初の1か月半でも、1年以上に感じられたのに、まだ見つからない。本当は、生き返ってほしいけど、それはもう叶わぬ夢だから…」
お母さんたちの中には仕事をしている人もいる。休みの日には、実穂さんと一緒になって、巴那ちゃんを懸命に探し続けている。今回出版された『ひまわりのおか』の収益の一部は、その捜索のために使われることになっている。
※女性セブン2012年9月20日号