【書評】『解』(加藤智大/批評社/1785円)
【評者】香山リカ(精神科医)
17人が殺傷され、世間を震撼させた「秋葉原無差別殺傷事件」。その犯人で死刑判決を受け、現在控訴中である加藤智大の著作『解』が出版されたが、市橋達也被告の手記とは違い、ほとんど話題になっていない。なぜか。それは、内容があまりに身勝手で、かつ理解不能だからだ。
唯一のよりどころとしていたネット掲示板で、加藤は「不細工スレの主」という独自キャラを確立させ、そこで活発に他者とやり取りもしていた。ところがあるとき、そこに「成りすまし」が登場し、自分に対する書き込みに勝手に返信しているのを発見した。
加藤は大きな衝撃を受け、「私は私でなくなってしまって」いるという感覚に陥り、自分は「殺された」とまで感じる。そこで感じた怒りこそが、自分を無差別殺人に駆り立てた、と加藤は説明する。相手を裁くために「心理的な痛み」を与えよう、と事件を思い立つ。
またそこに至る心理的過程には、「自分が絶対に正しい」という価値観など独善的で厳格な両親とくに母親からの影響が大きい、と加藤は自己分析している。「成りすましを裁くための犯行」といった突拍子もない思いつき、また自分の問題点をすべて母親からの影響と分析する態度を追っていくうちに、読者はたまらない不快感を覚え、おそらくは途中で本を閉じてしまうだろう。
しかし、考えるべきことはいくつもある。まず、本当に精神鑑定は必要なかったのか、ということだ。もちろん、これほどの犯罪となれば「責任能力なし」という結論はありえないことはわかるが、それは鑑定を回避する理由にはならないはずだ。彼が執拗に語る「成りすまし」は本当に存在したのか、妄想あるいは多重人格のひとつである可能性はなかったのか。
そしてもし鑑定の結果、問題がないとしたら、ここまでの孤独、空虚、自暴自棄はどこから来るのか、も考える必要がある。「彼はあまりに特異なモンスター」では決してすまされないような問題がここにはある。私はそう考える。
※週刊ポスト2012年9月14日号