西川美和監督(38)の新作映画のタイトル『夢売るふたり』(9月8日公開)は一見かわいいけれど、よくよく見ると不穏な気配が立ちのぼってくる。「夢を売る」とは主人公が手を染める結婚詐欺という犯罪行為そのものであり、映画というものの魅力と危うさを伝えているようでもある。
映画の冒頭、松たか子と阿部サダヲ演じる夫婦がやっている小料理屋が火事になる。すべてを失い、やけになる夫を案じる妻。ひたむきに夫を支えてきた彼女は、ふとしたことから夫の意外な才能を発見し、都会で淋しく暮らす女たちから再起のための金を引き出すことを思いつく。
「『夫婦善哉』をやりたかったんですよ」と西川監督。たよりない夫としっかりものの妻が手に手をとって? 「仲睦まじく、間違った方向に漕ぎ出して行ったらすごく面白いと思って」。「夫婦犯罪」というタイトルも考えた、という言葉と、ふわっとした笑顔のギャップが大きい。
「夫婦って不思議。夫婦が共謀する犯罪って実際にあるし何考えてたんだろうなって思いますけど、毎日の食卓では案外ふつうに会話してたりするんでしょうね」
デビュー作の『蛇イチゴ』は香典泥棒、『ゆれる』は殺人、『ディア・ドクター』は偽医者と、手がけた映画はすべて罪を犯す人間を描いている。それまでかぶっていた善人の仮面を剥ぎ取り、本来の顔をむき出しに見せて観客の心をゆさぶってきた。
なぜ犯罪を? 「何でなんでしょう。前世で何かやったのかなあと思うくらい、一貫してひかれてるんですよね。事件の記事を読んでも加害者のほうに近しいものを感じてしまう。たぶん私は、自分は間違わないと言い切れる人の冷たさがいやなんですね」
女性を主人公にするのは今回が初めてだ。女性監督は映画界ではまだ少ないし、女性を描くことは強みになったはずだが、苦手意識がありこれまで避けていたという。
やると決めたからには徹底している。松たか子演じる妻にはアパートで自慰にふける場面や、生理用ショーツにナプキンをつけて穿く場面が用意されている。心のうちを語ろうとしない妻が、ゆれ動く内面を持つ生身の女であることを鮮烈に印象づける。
夫役の阿部サダヲにだまされる風俗嬢(安藤玉恵)の激しいセックスシーンもある。『ディア・ドクター』で主役を演じた笑福亭鶴瓶は、西川監督が次作で女性を描くと聞き、「いい影響が出るのでは」とAVの代々木忠監督のビデオを渡したそうだ。試写を見た鶴瓶師匠の感想は「(影響が)出すぎや」。
やはりだまされる側の、ウエイトリフティングの選手役には本物の選手を起用することも考えたが、オーディションで舞台俳優の江原由香を選び、トレーニングと体づくりに四か月かけた。
短期間で形にするのは無理だと躊躇していたコーチの目の色が変わるほどスジが良く、映画の中ではリフティングの選手が役を演じているようにしか見えない。撮影が終わったあとも江原は競技を続け、八月に開かれた関東大会で二位になったとブログに書いている。映画の虚が実に逆転している。
俳優にここまで体を張らせるぶん、自分自身の追い込みかたも半端なものではない。脚本を書くときには広島の実家へ帰ってひきこもる。人間関係を完全に遮断し、第一稿を書きあげるまでの二か月間、だれにも会わずメールの返信もせず書き続けた。ご飯を作るのも洗濯もすべて母親に任せ、眠りにつくときも脚本のことを考えていた。
「子どもを生んで育てていないというのは女性の書き手として弱いと思いますけど、自分には家庭のことをうまくやる才能はない」と言う。二十三歳のとき、映画さえ撮れればほかのものは手に入らなくてもいい、そう思った気持ちのまま今までやってきた。
取材・文■佐久間文子
撮影■渡辺利博
※週刊ポスト2012年9月14日号