メディアでの評価と実際の印象に差があることは別に珍しいことではないかもしれないが、ここまで落差が際立つのは稀だ。NHKの連続テレビ小説『梅ちゃん先生』について、作家で五感生活研究所の山下柚実氏が分析する。
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これまで『カーネーション』や『はつ恋』など、話題のドラマをテーマにしてコラムを書いてきました。ところが。コラムの対象にしようと思っても、なかなか俎上に載せられないドラマがあります。例えば今放送中のNHK連続テレビ小説『梅ちゃん先生』。何度も見ようとトライしたけれど、なかなかしっかり集中して見ることができない。
それはなぜなのか。
「そんなの現実ではありえないわ」、「嘘くさい」、「不自然すぎる」。見ている最中から、自分の口をついて出てくるツッコミ。1回の放送・15分間が、とてつもなく長く感じてしまうのです。ドラマ世界にちっとも没入できないからです。
まず、主人公・梅ちゃん(堀北真希)が医者に見えないし、最近、出産したという設定だけれど、生まれたばかりの赤ちゃんを育てている、という生活感も漂ってこない。「昔育てていた亀の子を殺してしまったから、育児に自信が無い」というセリフなんて、どん引き。子育てとカメの飼育を一緒くたにするこのセンス、母としてありえない。
主人公だけではありません。
梅ちゃんの母親役(南果歩)も母親に見えないし、義父役(片岡鶴太郎)も職人に見えてこない。一言でいえば、生活のシーンどれをとっても、話し方、手つき、表情、雰囲気などの「リアルさ」が欠如している。お話の「土台」となる前提が崩れている。だから、視聴者であるこちらもフィクション世界に没入できない、というわけです。
私だけではなく、多くの視聴者はすでに「梅ちゃん先生」の問題点に気付いているようです。例えば、ウェブ上のヤフーテレビ「みんなの感想」欄には3万7千件を超えるコメントが寄せられ、その大半が厳しい内容。評価も「星ひとつ」が大勢を占めています。
特に「子育て」をめぐるコメントは、鋭く、かつ厳しいものが目立ちます。
「赤ちゃんが真横で泣き続けてもまったく気付かない母なんてありえない」
「生後数か月の育児は、こんなもんじゃない」
「適当な発想で子育てを描くことが不快」
「苦労もなく手に入れたラクラク人生なのに、地域医療とか嘘くさい」
「庭の梅の木はいつも枯れていて季節感がない。花が咲くと造花にしか見えない」等々…。
視聴者は細かい部分まで観察し、真剣に批評している。私がひっかかった点とも響きあいます。
ところが……。
新聞や雑誌などのマスメディアでは、「梅ちゃん先生」に対する悪い評判をほとんど見かけないのです。ウエブ上とマスコミ、評価に大きな落差があるのはなぜでしょうか? この差はいったいどこから出てくるのでしょう?
マスコミが注目しているのは、おそらくドラマの「中味」よりも、「視聴率」や「堀北人気」では。「梅ちゃん先生」の平均視聴率は24.9%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)とこれまでの最高を更新したらしい。高視聴率ドラマは、みんなが見ているから好意的にとりあげる、という実に単純なポピュリズムの図式です。
しかし、そもそもドラマというものは、現実とは別の世界でありつつも、「そうなのよね」「わかるわかる」「私も同じことを感じてきた」という共感を味わう娯楽。そして視聴者は、その「共感」を誰か他者とシェアしたいのです。それはもう、本能のようなもの。
でも、リアリティが欠如した「梅ちゃん先生」には共感したくても共感できない。拒絶された感じがする。
だから、ネットには酷評が溢れる→その酷評にまた共感する人が出る、という「逆共感の連鎖」が生まれているのでは。その批評の中心に、子育て経験を持つ主婦たちがいるのではないでしょうか。
マスコミやNHKは気付いているでしょうか。
いくら視聴率の数字が良くても、視聴者の中に確実に「今日のドラマの問題点を、楽しむよりも前に感じてしまう視聴者」がかなりの数含まれている、ということを。