数年に一度、総選挙で国会議員を選び直しても、日本の政治が一向に変わらないという思いを多くの国民が共有している。それもそのはず、私たちの投票行動はこれまで「漫然と選ぶ」だけであって、「真剣に落とす」ことを怠っていた。
落選運動――有権者が行使できる「最も過激な選挙行動」を行なわなければならないほどに、この国の議会制民主主義は脅かされている。
国政進出をめざす大阪維新の会の橋下徹・大阪市長が選挙のあり方に大きな一石を投じた。総選挙公約『維新八策』で衆院定数の大幅削減(240人)を打ち出し、議員の半数をクビにすべきとぶちあげたのだ。
橋下氏はその理由をツイッターでこう書いている。
「国会議員は本来、国全体の民意汲むことが使命です。ところが実際は、地方議員レベルの民意を汲む役割をしている。盆踊り、葬式、その他地域行事に出倒す。そのことによって小さな範囲の民意に拘束される。国全体のことを考えての判断ができない」
現行の衆院選挙制度は2大政党の当選互助会だ。仮に2大政党が小選挙区全部に候補者を立て、全員比例に重複立候補させた場合、計算上、結果が伯仲すれば比例復活を含めて両党の候補者の7~8割が当選できる。事実、小選挙区制で行なわれた過去5回の総選挙では、新人議員の当選割合は平均で24%に過ぎない。
大物議員が落選し、「政治が変わった」と騒がれた2005年の郵政選挙でも、2009年の政権交代選挙でも、前職・元職の7割が永田町に舞い戻っているのが現実なのだ。漫然と投票していると、落選したはずの候補がいつの間にかバッジをつけている。だから議員は国民を裏切っても平気になってしまう。
それを象徴するのが、マニフェストを次々に撤回して増税の旗を振った責任者、岡田克也・副総理が中央大学の講演で若者に向かって吐いた次の言葉である。
「けしからんというなら、次の選挙でそういう投票行動をしてもらえばいい」
イオングループの御曹司で、自分は落選しないと有権者を舐めきって、“嫌なら落選させてみろ”と開き直ったのだ。
橋下氏の問題提起は、有権者も「漫然と議員を選ぶ」選挙から、「真剣に落とす」選挙への投票行動の転換を求められることを意味する。それは政治家の慢心に鉄槌を下す有力な手段でもある。
かつて古代ギリシャの都市国家には「陶片追放」という制度があった。市民が国家に害をなす危険な政治家の名前を陶片に刻んで投票し、最多得票の者を国外追放して民主制を安定させる制度だ。落選運動のルーツである。
現代でも落選運動は各国で大きな役割を果たしてきた。議院内閣制のインドでは、1977年、強権政治を行なっていたインディラ・ガンジー首相が勝利を見込んで総選挙に臨んだものの、「反インディラ運動」が起きて与党が敗北、インディラ自身も落選した。韓国では2000年総選挙で市民団体によるネットを利用した大規模な落選運動が展開され、腐敗政治家などにリストアップされた59人が落選した。
政権党にとって民衆パワーは脅威であり、それを機に落選運動自体が規制されたほどだった。米国の保守派「ティーパーティー」による反増税運動(※注)も、落選運動の一種とされる。
民主国家において選挙の意義は、有権者が望む候補者を当選させるだけではない。望まない政治家を落選させ、政治を一新する手段でもある。
【※注】米ティーパーティー運動の全国団体「ティーパーティー・エクスプレス」は、2010年11月の中間選挙に際し、落選に追い込むべき民主党議員の実名を公表するなどの反増税キャンペーンを行なった。
※週刊ポスト2012年9月21・28日号