内戦の続くシリアで凶弾に倒れたジャーナリスト・山本美香さん(享年45)の死は、日本メディアのみならず、世界各国で大きく報道された。英BBCは2分以上にわたって報じ、米国務省報道官も哀悼の意を示した。公私におけるパートナーとして彼女を支えた、ジャパンプレス代表の佐藤和孝氏(56)が、17年前にふたりが出会った頃からの友人である作家・高山文彦氏に“想い”を語った。
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8月20日、山本美香さんは佐藤和孝氏とともにシリア北部アレッポで反体制派武装組織「自由シリア軍」に同行し内戦が続く市街地の取材をしていた際、前方から歩いてきた迷彩服の集団に突然銃撃された。
――美香ちゃんが最後に撮っていた銃撃の映像はネットで何度も見たよ。
佐藤:彼らは反体制派だと思って近づいていったら、銃を構えたのが見えた。僕が「逃げろ」と叫ぶと同時に乱射が始まった。僕は自分の後方左に逃れて現場から離脱した。その時美香は僕の右側にいたはず。美香のカメラの映像は発砲と同時に画面が下に傾いて、4発の銃声を最後に止まってしまっているから、きっと即死だったと思う。
その後、僕は自由シリア軍の兵士と2人で近くのアパートに逃げ込んだけど、政府軍が必ず掃討作戦に来るから、もうおしまいかと生きた心地がしなかった。1時間くらいして銃声が止んだから、意を決してアパートを離れて、ミーティングポイントにしていた高速道路下まで辿り着いた。
――そこで待っていた仲間の兵士に「美香は病院に行っている。お前の目で見てこい」っていわれたあなたは、彼女の死を確信してその場に崩れ落ちたそうだね。それを聞いて、本当に胸がつまった。
佐藤:地獄に突き落とされた気分だった。病院に着くと、1階のロビーにストレッチャーが置いてあって、そこに人が白い布に包まれて横たわっていたから、もう間違いないと思った。
頭を吹っ飛ばされているのかと想像していたけど、布をめくったらきれいな顔をしていたんでほっとした。鼻血は出ていたけど、口元はかすかに笑っているようで、きれいな白い肌をしていた。首を見たら、銃創がぱっくりと割れていた。体の震えが止まらなかったけど、どこをどう撃たれたのかできる限り確認してやろうと思ったよ。
――その時の映像では「怖くなかったか? 痛くなかったか?」と声をかけていたね。そして彼女の顔に自分の顔を近づけて。
佐藤:美香に何度も口づけした。もう何年も口づけなんてしたことなかったのに……。
防弾ジャケットは着ていたけど、脚や背中にも銃痕があった。帰国後の検視で9発の銃痕がわかった。倒れた後も撃たれ続けたのかもしれない。その後は涙も出なかったよ。死については常に話し合っていたけど、実際に遭遇してみたら絵空事だったと痛感した。最愛の人を守ってやることができなかった……。
――あの銃撃の前にあなたが撮っていた映像も見たんだよ。美香ちゃんが転んですりむいた右肘のケガをまずアップで写し、そこから引いていって全体像を写していた。あの映像にあなたの愛情を感じましたよ。
佐藤:あの日、シリア軍の空爆に遭っていたんだよ。街のど真ん中にジェット戦闘機が急降下して空爆するのを目撃したのは初めてだった。国家がとてつもない暴力を国民にはたらいていることに本当に驚かされた。
その空爆から逃げる時に美香が転んで、渡していた僕のカメラを落としてしまった。彼女は「カズさん、カメラ落としちゃった、どうしよう」って心配して。普段だったら怒鳴ったりもするけれど、僕は「もう一つあるから大丈夫だよ」と励ましてあげた。あの極限の状況で僕たちは一心同体だったし、お互い支え合わなきゃならなかった。
彼女のケガを撮影したのは、われわれだけが共有できる愛の行為だったから。普通は日本に送る段階でカットする映像。でも、今回は撮影した映像すべてをテレビ局に渡したから、その映像がまさかユーチューブで全世界に流れているとは思わなかった(笑い)。
※週刊ポスト2012年9月21・28日号