この夏大きな盛り上がりを見せた官邸前の脱原発デモは、一時20万人(主催者発表)を動員する規模に膨らみ、現在も毎週金曜日に数万人が参加するデモが行なわれている。
今のところ、デモ隊と警官隊の衝突のような大規模な騒擾は起きていないようだが、今後の参加者の拡がり次第ではそんな“最悪の事態”も考えられる。
危機管理の第一人者といえば、初代内閣安全保障室室長を務めた佐々淳行氏だろう。警察官僚時代には安保闘争などで「デモ鎮圧」を指揮した佐々氏の目には現在の官邸前デモはどう映っているのか。
――かつて大規模なデモの警備をされたと聞きました。
「私は1960年代の安保闘争で平和的なデモから過激な武装闘争まで警備をしましたからね。警備実施回数を数えてみると、990日で、6000回。20万人を超えるデモも経験しました」
――官邸前デモも同じくらいの規模です。
「よく似ているのは、1969年3月末から始まって17週間も続けられたデモ。毎週土曜になるとべ平連(ベトナムに平和を!市民連合)が新宿西口地下広場に集まってギターで反戦歌を歌うという困ったデモでした。ただ、今日のデモと違うのは、当時は石を投げつけたりして暴徒化する連中がいたことだな。あと、デモは決まって夜中だから、忍耐力の勝負でした。今回のは夜8時には終わるから警備は楽だよね」
――デモ警備の要諦とは。
「警備方針は、交通整理の要領でソフトにやること。デモ隊を興奮させないように、出動部隊にはヘルメットや楯、拳銃も外させて、丸腰でやらせました。『あんたたちの扱いは、過激派の取り締まりとは違いますよ』とメッセージを送るんです」
――でも、いうことを聞かない参加者もいる。
「そういう連中は引き抜いて隊列の後ろに回して、個別に帰らせる。手錠をかけてはダメ。その代わり、暴徒化した場合に備えて、完全装備の機動隊を秘匿待機させていました。隊員たちには、『盆踊りと一緒だから、決して手荒く扱うなよ。こいつらが皆、敵になったら大変だぞ!』と口を酸っぱくしていっていましたよ」
「20万人の盆踊り」とはなんともスケールが大きいが、先人のノウハウは、官邸前の警官隊に伝わっているだろうか。
※週刊ポスト2012年9月28日号