かつてわが国の政治家は、権力を誇示する場として大邸宅を構えた。吉田茂、岸信介、佐藤栄作、田中角栄――それぞれ何がしかの欠点を抱えながらも、信念を貫く強い意志があった。そして、その意志は住処とする館にも表われていた。
誰が訪れ、どこに出向き、何を話すか。表面上、法律や政策は国会や内閣で決まるが、国家の要諦は権力が濃密に集まる“館”で決したといえる。
わかりやすい例は田中角栄の目白御殿だろう。相続税のためにほとんどが物納され、今は門だけが残る観光名所となったが、かつてはこの館で権力は行使され日本の方向性が決した。
総理の座を失いながらも自民党の3分の1の勢力を背景に政界に君臨した「闇将軍」。脳梗塞で倒れた際に反旗を翻した当時の自民党幹事長・竹下登は、年始の挨拶に田中邸を訪れたが門前払いにあった。後に頂点に登りつめる竹下にとっても、このときほど権力の塀が高く見えたことはなかったはずだ。
翻って今はどうか。大邸宅を構える政治家の話など寡聞にして耳にすることはない。もちろん建物の威容を誇ることを世間が許さない風潮であることはたしかだ。しかし、建物の大きさは政治家のスケールに比例するとはいえないだろうか。密室で国家の大事が決まることを称賛するつもりはないが、いま一度「権力の館」を見つめてみるのはどうだろうか。
※週刊ポスト2012年9月21・28日号