現在、老人ホームで暮らしていることを『週刊文春』(9月13日号)に報じられた三國連太郎(89才)。その息子である佐藤浩市(51才)は、認知症の母の看病を続けている。
これまでに三國は4度結婚しており、佐藤の実母・A子さん(81才)は彼の3番目の妻にあたる。1952年、すでに人気俳優として活躍していた当時29才の三國は、東京・神楽坂の売れっ子芸者だったA子さんと恋に落ち、同棲生活を経て、1957年に結婚。その3年後に生まれたのが佐藤だった。
しかし、1972年、三國とA子さんは離婚する。このとき、佐藤はまだ小学6年生。幼な心に大きなショックを受けたことだろう。以後、佐藤はA子さんと母子2人で暮らすことになる。A子さんは離婚後、スナック経営を始めた。
そして、佐藤が中学に上がると、その母を手伝う男性・Bさんが現れる。“よっちゃん”と呼ばれた彼は、いつしか“内縁の夫”として一緒に自宅で暮らすようになる。突然自宅に転がり込んできた見知らぬ男。思春期だった佐藤に、この事実は耐えられなかった。
「“この家に自分の居場所はない”。そう思った佐藤さんは、高校2年のときに家を飛び出したんです」(佐藤の知人)
そして以後30年にわたって、母子関係は断絶状態となったが、転機が訪れたのは4年前のことだった。A子さんは、2008年7月に脳梗塞で倒れ、都内の病院に入院。さらに同年12月には、内縁の夫・Bさんも他界する。
内縁の夫を失い、独り身となってしまった母。しかも、母親は脳梗塞の後遺症からか、認知症を患い、その症状は急速に進んでいった。皮肉にも、この病が30年間断絶状態だった母子関係の雪解けのきっかけとなったのだった。
変わりゆく母の姿を目の当たりにした佐藤は、妻・C子さんと相談のうえ、母の面倒を見ることを決意する。平穏な家庭に、母とはいえ認知症の家族が増えるという現実。簡単な決断ではなく、妻、そして子供たちの理解とともに、家族一同相当な覚悟が必要だったに違いない。
こうして、2008年の年末、彼は母を退院させ、自宅に引き取った。ここから、佐藤一家の闘いが始まる。
「もうお母さんは自分で歩くこともできず、佐藤さんの顔さえわからない状態だったんです。そんなお母さんを、食事はもちろん、入浴から排泄まで全部、佐藤さんの奥さんが付きっきりで介護していました。心底できた奥さんだと思いますよ」(別の佐藤の知人)
親の介護が原因で家庭内に不和が生じるケースは多いが、佐藤の家は違った。
「佐藤さんは、幼いころから“ずっと家でひとり”という環境で育ってきた。だからでしょうか、“どんな状態だろうと、家の中に家族は多い方がいい。家族は一緒に暮らした方が絶対にいいんだ”って。奥さんもお子さんも、認知症となったお母さんが同居することに文句は一切言わなかったそうです」(前出・佐藤の知人)
当時、佐藤が母を迎えたマンションは充分な広さがなかった。そこで昨年5月、都内に地下1階、地上3階建ての豪邸を建築する。
「この家には、A子さんのためにエレベーターを設置しました。車いすの移動に不自由がないようにスロープも完備するなどバリアフリーな設計で、その家は、“最後まで自宅で面倒見よう”という佐藤さんの意志の表れのような家でした」(前出・佐藤の知人)
※女性セブン2012年9月27日号