自民党総裁選への出馬を表明した安倍晋三・元首相の“セールスポイント”は、橋下氏が率いる大阪維新の会との緊密な関係だという。だが、岸信介・元首相の孫、安倍晋太郎・元外相の息子で「永田町のプリンス」と呼ばれる安倍氏と、「永田町外からの外来種」たる橋下氏では、いかにもミスマッチに思える。何がこの二人を結びつけるのか。
安倍氏は本誌9月7日号のインタビュー(聞き手・長谷川幸洋氏)で、「維新の会と連携をしていくという選択肢を大切にしていきたい」とした上で、その理由を「維新の会がいう統治機構の改革は我々の目指す戦後レジームからの脱却と底流に流れる考え方が共通している」と述べた。
安倍氏のいう「戦後レジームからの脱却」とは、首相時代に「戦後日本の在り方を根本から見直す」として掲げた旗印で、教育基本法の改正や、憲法改正の布石となる国民投票法の制定などを実現させた。
しかし一方で、改革の本丸だった公務員制度改革については、天下り規制や能力主義の導入などを盛り込んだ国家公務員法を2007年7月に改正したものの、官僚らの執拗な抵抗やメディアのバッシングに遭い、改革は骨抜きにされた。
それから5年後、橋下氏は公務員の給与削減や天下り団体への補助金カットなど、安倍氏がなし得なかった改革を、大阪で次々と実現させているように見える。
近著『約束の日 安倍晋三試論』(幻冬舎刊)で安倍改革の挑戦と挫折を描いた文芸評論家の小川榮太郎氏は、こう分析する。
「安倍氏は、朝日新聞幹部をして『安倍の葬式はうちで出す』といわしめるほどの攻撃に遭い、改革の道半ばで倒れました。過去の苦い経験から、既得権益ともう一度全面戦争するためには、橋下氏の類い希な政治的運動神経が必要だと考えているのではないか」
この両者を結びつけているのは、安倍政権を支えた改革派官僚たちだ。
内閣参事官として官邸入りした高橋洋一氏(財務省)、渡辺喜美・行革相の補佐官を務めた原英史氏(経産省)、原氏を行革担当に推した古賀茂明氏(経産省)らが、安倍政権の公務員制度改革をバックアップした。彼らはその後霞が関と決別し、行き着いたのが大阪だった。
高橋氏は大阪市の、原・古賀両氏は大阪府市統合本部の特別顧問として、橋下氏のブレーンを務めている。
小川氏は、11月25日、同じ日に首を刎ねられた吉田松陰、三島由紀夫と安倍晋三をなぞらえながらこう書いている。
〈安倍が、首相として挑戦した「戦後レジーム」の「濁流」は、かつて、三島由紀夫が自衛隊のバルコニーでの演説中に強烈な無力感をもって対峙していた「ヤジ」の背後の、有無を言わせぬ圧倒的な力と同質のものだと思われるからだ〉
そして三島の檄文の、次の一節を引く。
〈「戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆく」〉
その「濁流」の底に潜み、濁流を放置し、あるいは利用してきた官僚制そのものが「戦後レジーム」の本丸であろう。小川氏は語る。
「安倍氏と改革派官僚にとって、これは負けられないリベンジ戦になる。霞が関に一度開けた風穴を再びこじ開けるために、周到な準備をしているはずだ」
※週刊ポスト2012年9月21・28日号