日本のコメ文化がピンチである。さきごろ発表された調査によると、コメの購入額はパンに抜かれ、国民一人当たりの消費量も過去最低となった。「世界一美味い」と言われるコメを手軽に口にできる国民でありながら、嘆かわしい事態ではないか。おりしも秋には新米も控えている。食文化に詳しい編集・ライターの松浦達也氏が、「炊きたてコメの旨さ」を解説する。
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日本人といえばコメ……だった。ところが、先日発表された総務省の家計調査で、2人以上の世帯におけるコメの購入額が、パンに追いぬかれたことが判明した。しかもその理由は、コメの購入額の減少によるもの。1985年に年間7万5000円だったコメ購入額は、2011年には2万7777円と約3分の1に。国民一人あたりの消費量も年間57.8kgと過去最低を更新した。単なるコメ離れという問題ではない。家で「ごはんを炊く」という文化が衰退しかねない一大危機である。
大げさな話ではない。日本の家庭における「ごはんを炊く」技術は世界一だ。「研ぎ」「浸水」「炊き」という整備された工程や「はじめちょろちょろ~」に象徴される、「炊飯」自体、醸成された文化なのだ。長く「穀物」を食べてきた日本人にとって、炊きたてごはんは最上のごちそうだった。いい店できちんと炊かれた極上米はもちろん最高だが、家で食べる炊きたてのごはんも捨てがたい。いや、「炊きたて」の真価は、リーズナブルな普通のコメを家庭で炊いた時にこそ、発揮されるのだ。
炊きたてごはんの旨みは、加熱によって糊化(α化)したデンプンの質によるところが大きい。いいコメをきちんと浸水させ、上手に炊きあげると、コメ内部に網目状のデンプン構造が発達する。この網目構造が粘り、やわらかさ、弾力性といった「コメの旨み」につながる。そして一般にいいコメほどその構造の細かさが、長持ちするといわれる。「コシヒカリ」などはその代表例だ。
一方、日常で食べるようなリーズナブルなコメは、この微細なデンプン構造の保持時間が短い。炊きあげた後の構造変化が早く、食味が変化しやすいと言われる。一般に飲食店での炊飯回数は1日だいたい1~2回。その後、数時間「保温」状態で置かれてしまうと、その間に劣化が進む。近年、デフレ化が進む外食となれば、コメの品質などの条件により、劣化リスクはますます高くなる。裏返して言えば、最高に旨いごはんにありつきたいなら、食事の時間に合わせて炊くことのできる、家庭が一番いい。
僕自身の話で言えば、これまでに衝撃的な「ごはん」との出会いは3回あった。最初は1990年頃、新潟県・南魚沼の民宿で出された、羽釜炊きのコシヒカリ。あまりの旨さに7杯お代わりした。次に衝撃を受けたのは2003年頃、取材で訪れた佐賀県の農家で収穫された「ヒノヒカリ」。コメ自体は半歩下がった存在感ながら、合わせたおかずが数倍旨くなるという、驚きのコメがあることを知った。そして直近ではここ数年、田植えと稲刈りの時期に訪れる、友人の実家で収穫されたコシヒカリ。20年前の南魚沼を彷彿とさせる味わいに、春と秋にお邪魔するのがすっかり年中行事になってしまった。もちろん、いずれも「炊きたて」だった。
かっこむだけでごはんの旨みが口内に広がり、ひと噛みごとに甘味が深くなる。日常における最高の「炊きたてごはん」は家でこそ味わえる。今年もいい新米が出まわる季節がやってきた。