国際情報誌・SAPIOが9月20日発売号で『「新・大東亜共栄圏」中国抜きの“アジア繁栄構想”を提唱する――』との大特集を打ち出した。その狙いは何か、以下は同誌の巻頭言だ。
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本誌は敢えて「禁句」を提唱する。
日本の戦後論壇では、日本を「アジアの盟主」と呼んだり、「アジアの共栄圏」を唱えたりすることはタブーとされてきた。もちろん、先の大戦の反省と贖罪のため、「忍び難きを忍」んで言葉を呑み込んできたからだ。
その間、戦争の大義を勝者の論理で押し殺された恨みは深く国民に沈澱し、反動から「禁句」をことさら口にする論客ももちろんいたが、結果、世界と日本人にその思想の中核が理解されることは難しかった。だから「敢えて」なのである。
いまアジアは大きな岐路に立っている。日本の敗戦という大きな断層があったにもかかわらず、過去100余年間、アジアの発展の先頭を走り続けてきたのは常に日本だった。いまや「日本、恐るるに足らず」と鼻息荒い中国や韓国も、戦中のインフラや教育の整備のみならず、戦後も敗戦国たる日本からの援助によって近代化を進めざるを得なかったのが実情なのだ。
ところが、その中国、韓国の台頭によってアジアのパワーバランスは崩れた。時同じくして、日本が先進国、大国ゆえの変革の必要性に一歩早く迫られたことで、「我こそは新・アジアの盟主」と肩をいからせる国が、領土、経済、外交で幅を利かせ始めている。
一方で、戦中に日本が開発に国家の命運を懸けた東南アジアは、ようやく高度経済成長期を迎えており、EUに次ぐ巨大経済連合の姿が見え始めた。文化圏、経済圏は少し異なるが、インドの急成長も周知の通りである。
残念なことに、尖閣・竹島問題を見ても明らかなように、中国、韓国が歴史を捏造してまで日本を敵視する姿勢を続ける限り、日中韓の連携によるアジア共栄の道はなかなか難しい。が、それを「石の上にも三年」と待ち続ける時間は、日本の現状からも東南アジアの成長スピードから考えても、もはやない。
この複雑な連立方程式の解こそ、今の時代に求められる「新・大東亜共栄圏」である。要らぬ批判を受けぬために銘記しておきたいが、これはいたずらに中韓を敵視するものではない。しかし、本来なら手を携えてアジアの発展に尽力すべき両国が、その道を好まぬなら、ひとまずそちらは時間がかかるものと覚悟し、まずは伴に歩める国々と先に進むしかあるまい。
冒頭に引用した「玉音放送」の一節はあまりにも有名だが、同じ詔勅のなかで昭和天皇は、こうも述べている。
「米英二国に宣戦せる所以もまた実に帝国の自存と東亜の安定とを庶幾するに出て、他国の主権を排し、領土を侵すが如きは、固より朕が志にあらず」
豊穣な自然と勤勉な人々、地政学的な要所を抱くアジアは、発展の後れゆえに先を行く国々に常に翻弄されてきた。先の大戦の大義が欧米列強からのアジアの自立自存にあったとすれば、現代はむしろ同じアジアにはびこる新・帝国主義からの自立自存が必要かもしれないことは悲しむべき皮肉だ。
反論も大いに歓迎したい。今こそタブーを排し、「新・大東亜共栄圏」の在り方を論じる時だ。
※SAPIO2012年10月3・10日号