韓国では2000年の総選挙で市民団体によるネットを利用した大規模な落選運動が展開され、腐敗政治家などにリストアップされた59人を落選させた“実績”を持つ。その、韓国の「落選運動」はどのように行なわれたのか。
運動の主体となったのは約460の市民団体が集まった「総選挙市民連帯」という組織。ただし、市民団体といっても政治家志望者や弁護士などプロ集団の性格を持ち、当時の中心メンバーである朴元淳氏は現在のソウル市長となっている。
その活動は、リストアップした政治家を公認させない「落薦」(イエローカードキャンペーン)と、総選挙で投票しないように呼びかける「落選」の2段階で実施された。韓国の落選運動について詳しい清水敏行・札幌学院大学教授(韓国政治学)が解説する。
「総選連帯はまず、過去のメディア報道などをもとに、『選挙法違反』『不正腐敗』『職務怠慢』などの項目別に査定した上で記者会見を開き、各党に“公薦(公認)しないように”と求め、一定の成果を上げました。
選挙の公示後は合同演説会などに出席し、対象となる候補に“ダメだ、ダメだ!”と罵声を浴びせたり、街頭でプラカードを掲げたりするという行動が行なわれ、候補者の支持者との衝突も起きました。もともと逮捕覚悟で活動していた人々のため、そうした過激な方針を厭わなかったのです。また、過激なネガティブキャンペーンを受け入れる韓国特有の国民性も影響したと思います」
当時の韓国は経済危機の真っ只中にあり、与野党の政治家のスキャンダルが次々と発覚していた。そうした政治に対する不満の鬱積が、韓国の有権者を駆り立てたという。また、日本よりも一般市民へのインターネット普及が早かったことも運動の追い風となった。
総選連帯は積極的にネット上での落選運動を展開し、これに「ネチズン」と呼ばれる20代、30代の若者が賛同した。運動の支持率は80%にも及んだ。
だがその後、韓国の落選運動は勢いを失っていく。2001年1月に韓国最高裁が「落選運動は選挙法違反である」との判決を下し、運動指導者らの有罪が確定した。また、前出の清水教授は、「運動自体が政治色を強めていったことも国民の支持を失った原因だった」と指摘する。そうした経緯もあり、近年は大掛かりな落選運動は発生していない。
※週刊ポスト2012年10月5日号