食の不安が巡る日本。その一方で、食肉のトップブランド和牛の世界に波紋が広がっている。(取材・文=ノンフィクションライター神田憲行)
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「○○牛」と名付けられるブランド和牛が日本にいくつあるのかご存じだろうか。答えは黒毛和種だけて156種類。それぞれが特色を打ち出して、世界的にも有名な「WAGYU」の世界でしのぎを削っている。
その牛肉輸出で注目すべき「異変」が起きている。これまで日本の牛肉輸出で主要な取引国は、香港、マカオ、米国だった。だが昨年、冷凍牛肉でカンボジアがシェア6割超とトップになった。今年4月から7月までの実績でもトップはカンボジアで、二位がラオスになっている(数字はいずれも独立行政法人 農畜産業振興機構のデータから)。日本国内でも高級品と言われる和牛を同国の一部の富裕層をのぞいて庶民がそう多く味わえるとは失礼ながら思えない。急浮上しているのもの謎だ。
実は以前にも同様のことがあり、2007年から2009年まで同じく冷凍牛肉でベトナムが輸入国のトップになっている。しかもいずれもシェアは9割を超えている。これには日本の大手専門商社がベトナム現地の仲卸業者に赴いて、どういう食べられ方をされているのかヒアリングを試みたところ、驚くべき回答があったそうだ。
「ベトナムは日本の肉なんか輸入していないというんですよ(笑)。れっきとした日本の統計資料に出ていると説明しても、見たことがないと首を振るんです。いったんベトナムに入れて、そこから他の国に回った可能性があります」(専門商社関係者)
その先として推測されているのが、中国だ。中国は食肉市場を開放していない。だから密輸で回っているのでは……と先の関係者は言葉を濁す。
「推測でしかありません。でも私のところには上海の業者から『松阪牛を大量にわけてくれ』とダイレクトな注文電話が毎週のようにかかってくる。もちろんお断りしますけれど」(同)
昨年はベトナムが輸出相手3位圏外に去り、カンボジアがトップ。今年に入って今まで一度も3位内に入ったことがないラオスが2位に。あくまで想像でしかないが、中国の密輸基地となっていたベトナムルートが何らかの事情で閉じて、代わりにカンボジアとラオスルートが浮上したのではないだろうか。
そうした動きに日本側が眉をひそめているかというと、実はそうでもない。
「密輸は困りますけれど、正規ルートができれば、どんどん日本の高級和牛を中国に売りたい。食い尽くしてもらうぐらいの勢いで買いに来られても構わない」(同)
将来、日本人が丹精込めた和牛のほとんどが、中国人富裕層のテーブルにのぼるという時代が来るかも知れない。国内の食肉生産量のうち輸出に回っているのは0.2%に過ぎないが、そこに日本の食卓の未来が占える。