過去最大となった中国の反日デモの嵐は、9月15日に約120都市に及ぶ中国各地で一気に吹き荒れ、柳条湖事件記念日の9月18日に125都市、数十万人の参加者を記録し頂点を迎えた。
翌19日朝に北京市公安局が北京市民の携帯電話に一斉に「愛国への情熱を他の理性的な方法で表現し、抗議活動のために大使館前には来ないように」とのショートメッセージを送り、日本大使館前で連日起きていたデモの抑え込みにかかった。これを契機に北京以外の都市の反日デモも終息に向かっている。
突然の“炎上”と、突然の“鎮火”。この相反する動きが中南海での権力闘争の縮図であると指摘するのは、中国に詳しいジャーナリストの相馬勝氏である。
「11月に開催される党大会で、習近平氏が胡錦濤氏から共産党総書記を引き継ぐのは既定路線です。しかし、党政治局常務委員9人のうち7人が入れ替わるといわれており、習近平・江沢民の太子党(共産党幹部の子弟グループ)と、胡錦濤の共産主義青年団(共青団・エリート人材を輩出するための青年組織)がその綱引きをしている真っ最中なのです」(相馬氏)
胡錦濤氏はこれまで日本製品の不買運動や大規模な反日デモの展開には否定的だった。2005年や10年の反日デモも拡大する前にデモを抑えつけている。そんな胡氏の“弱腰”に対し、過去に極端な反日政策をとった江沢民・前国家主席を後ろ盾とする習近平氏は、反日デモを主導することで強いリーダーのイメージを作り出そうとした、ということだ。
「党のトップの指示がないとあれだけの規模のデモには発展しません。毛沢東の写真を掲げるデモが登場したのも、腐敗が横行する胡錦濤体制への批判であり、毛沢東主義者である習氏の意思が込められていると見ていいでしょう。
しかも、約2週間も姿をくらまして重病説などが飛び交っていた習近平氏は、9月15日に突然姿を現わしました。その日に反日デモが急拡大したのは偶然とは思えません。反日デモは習氏が“煽った”と見るのが自然です」(相馬氏)
胡錦濤氏が習近平氏に対して強気に出られないのには理由があった。それが今年3月に起きた“黒いフェラーリ事件”だ。
3月18日、北京市内で黒いフェラーリが壁に衝突し、20代の男性が死亡、同乗の女性2人が重傷を負った。この死亡した若者が、胡錦濤氏の側近である令計画・党中央書記処書記の息子だったのだ。
息子が高級スポーツカーで死亡事故を起こしたことは、共産党幹部によっては大スキャンダルだ(しかも失脚した前重慶市党委書記・薄熙来の息子が赤いフェラーリを乗り回していた)。さらに胡主席が令氏の息子と知りながら事実を隠蔽しようとしたことが明るみに出た。
この事件がきっかけとなり、党政治局の24人に入ることが濃厚だった令氏が、党中央弁公庁から中央統一戦線工作部へ異動となったことが9月1日に報じられた。事実上の“左遷”である。求心力を失った胡錦濤氏に追い打ちをかけるように、日本の尖閣国有化に乗じて習近平氏が攻勢に出て共青団に揺さぶりをかけている、というのが反日デモの背景にある構図とされる。
「反日デモが盛り上がったのは習氏の狙い通りでしたが、それが共産党一党支配反対運動まで発展するのは避けなければならない。柳条湖事件記念日はデモを終息へ向かわせるタイミングとしてはちょうどよかったのでしょう」(相馬氏)
中南海の権力闘争からすれば、「反日デモ」はその道具の一つにすぎないのである。
※週刊ポスト2012年10月12日号