今年7月8日、東京で開催されたアフガニスタン支援会合で国際社会は2015年までに160億ドル(約1兆2800億円)を超える支援を行なうことで合意。主催国の日本も今年から約5年間で30億ドル(約2400億円)の支援を表明して会議に花を添えた。しかし、この巨額支援は本当に現地の人々の役に立つのか。国際政治アナリスト・菅原出氏がテロの頻発する首都・カブールからレポートする。
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1年半ぶりに訪れたアフガニスタン・カブール空港到着ロビーの雰囲気は相変わらず異様だった。乗客の3分の1は分厚い胸板と丸太のような腕、鋭い眼光をした大男たちで、もう3分の1は国連の開発支援関係者と見られる白人たち、残りが比較的裕福なアフガニスタンのビジネスマン風の乗客だ。
私が訪れた7月末時点で、民間警備会社で働く欧米の元軍人たちと国連関係の人間が乗客の半分以上を占めるという事実は、この国がいまだに「戦場」であることを物語る。
カブールの中心部では、交差点ごとに自動小銃で武装するアフガン警察官が数名配置され、大きな交差点には2階建ての監視小屋がある。土嚢を積み上げて機関銃を設置し、24時間体制でタリバンによる襲撃に備えていた。通り沿いの店やオフィスの入り口にも必ず武装した警察官や民間武装警備員がついており、とにかく銃を持った人間がそこら中にいる。
そんなカブール市内を車で移動中に面白いものを発見した。市内の道路沿いに青色の看板のようなものが延々と設置されているのだ。ほとんどは塗装が剥げたり、上から選挙ポスターのようなものが貼られたり、ゴミ置き場の目印になっていたりするのだが、よく見ると「日の丸」が付いていた。
これらは実は日本政府の支援でカブール市内に建てられた〈バス停〉だ。日本政府は「カブール市公共輸送力復旧計画」事業として2003年に大型バス94台、ミニバス17台を、アフガン国営バス公社に提供。同時に、調達したバスが有効活用されるように、「費用対効果の高いバス路線を選定して、バス停を設置した」という。総事業費は22億円を超えた。
しかし、実際にバス停として使用されているものはほとんどなかった。写真を見ればわかる通り屋台に前を塞がれるなど、全く用をなしていない。国際社会による支援の無駄を象徴するかのように、日の丸の剥げかけた「バスが来ないバス停」が市内の至る所で空しく佇んでいたのである。
ちょうど同じ頃、米政府のアフガニスタン復興事業に関する監査機関(SIGAR)が、四半期毎の評価報告書を発表していた。「2011予算年度の大規模インフラ事業のうち4億ドル相当の極めて重要な投資が無駄になった」いずれも計画、調整や履行が杜撰で事業の継続性に問題がある、と断じていた。
それらの大規模プロジェクトは、選定した業者の能力不足やセキュリティ対策費用の増大、政府の腐敗、調達や輸送の困難さなどさまざまな理由から大幅な遅れや中断につながり、期待された効果は生まれていないというのだ。
過去10年以上、国際社会が注ぎ込んだ莫大な支援にもかかわらず、アフガニスタンの治安や市民生活は一向に改善していない。「国際社会がアフガン国内の腐敗した人たちを支援し、力を与えてしまうから、莫大な支援が無駄になってしまう。なぜ、本当にアフガニスタンのために尽くそうとする人たちを支援しないのか」
同国初の女性大統領候補で国会議員シャウラ・アタのこの言葉は、市民の強い不満や苛立ちを代弁していた。国際支援が一般市民に行きわたらない構造的背景を、取材を手伝ってくれたアフガン人のM氏が解説してくれた。
「まず西側の人たちがこの国で生活するために莫大な費用がかかる。住居には何重ものフェンスが設置され警備員が常駐。移動時には防弾車両と武装警護員がつきます。履行業者やその下請け、孫請け業者には政府要人の親族などの会社が参入する。そうやって中間搾取されるので、実際のプロジェクトに費やされる金額は予算全体の3割程度まで萎んでしまう」
日本の支援を例に取ってみよう。現在、日本の国際協力機構(JICA)の職員約60名が、カブールの一流ホテルに滞在している。その滞在費だけでも莫大だ。一人の宿泊費が3万円として1日あたり180万円。年間で6億5000万円にもなる計算だ。
警護チームは1日1チームで30万円程度が相場だという。仮に10チームとすれば、警護チームの費用だけで年間10億円以上かかるだろう。宿泊と警備だけで軽く年間15億円を超えてしまうのだ。
こうして、莫大な支援額が表明されても実際にその事業に使われる額はごくわずかとなり、一般市民の生活へのインパクトは限定されてしまう。今回の「5年間で2400億円」という支援にしても同じ過ちが繰り返される可能性が高い。
※SAPIO2012年10月3・10日号