ゴルフ史に残る名勝負は数多く存在する。その中で、沼沢聖一プロが選んだのは1987年の日本プロゴルフマッチプレー選手権の決勝。高橋勝成(当時36)が尾崎将司(当時40)を下した戦いである。沼沢プロがこの試合を語る。
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いくつもある名勝負の中で、“死闘”と呼ばれるのはこの試合だけだと私は思っています。
37ホールで争われた高橋勝成とジャンボ尾崎の決勝は息詰まる展開となりました。18ホール目にジャンボの打球を巡って20分以上中断するアクシデントもあり、8時間以上の雨中のマッチプレーはまさにデスマッチでした。
飛ぶ鳥を落とす勢いのジャンボは、この大会に3週連続優勝と単独最多勝(52勝)が懸かっており、歴史に名を刻むための重要な試合でした。当時、日本プロゴルフマッチプレーはメジャー大会のひとつで、体力、技術、精神力が揃わないと勝てない最も過酷な大会といわれていた。
勝成とジャンボとでは飛距離がドライバーで40ヤード、アイアンも3番手分の違いがあった。過去の実績、スケールからいえば、誰もがジャンボの勝利を予想していた。
ところが、抜きつ抜かれつの大接戦。33ホール目でジャンボが追いついてからは、奇跡の連続です。次のホールで再び勝成がリードし、35ホール目のパー3でジャンボのティショットがグリーンを外すとギャラリーの間から悲鳴に近い落胆の声が上がりました。
だが、ジャンボは8メートルのパーパットを決め1DOWNを守る。そして最終36ホール目には残り50ヤードからカップ2センチに寄せるスーパーショット。土壇場で追いつきました。
しかし、最後に笑ったのは勝成でした。延長1ホール目で2メートルのパットを勝成が決めたのに対し、ジャンボは1.8メートルを外してしまったのです。ジャンボは「ジャンボの神様より、高橋選手の守り神の方が少し強かっただけ」とコメントし、会場を去りました。
1ホール1ホール、1打1打の見所が詰まったこの勝負は、ゴルフのテレビ中継が増えるきっかけとなりました。この試合以降、勝成は“ジャンボキラー”と呼ばれるようになり、相手のミスを誘う粘り強いプレーは、ジャンボの豪快なゴルフに蹴散らされてきた多くのプロに勇気を与えることになりました。
●沼沢聖一(プロゴルファー)
ぬまざわ・せいいち/1945年生まれ。日本大学を経て1968年プロ入り。眼病のため42歳で競技生活を断念。その後はTV解説、ゴルフ雑誌への執筆、ジュニア育成など精力的に活動。
※週刊ポスト2012年10月12日号