長年に渡って米大統領選をウォッチしてきた作家・落合信彦氏をして、2012年の大統領選挙はまったく期待できないという。以下は落合氏の解説である。
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アメリカ大統領選挙が佳境を迎えているが、正直な感想を言わせてもらえば、超大国のリーダーを決めるに相応しい戦いとはほど遠い。4年間なんら実績のないオバマ対、個性や政治信条に欠けるロムニー。そのためか、一般アメリカ人はそれほど関心を見せていない。
両党の党大会を見てもさもありなんと納得できる。民主党大会はオバマの演説で終わったが、先行した共和党大会も似たり寄ったり。泡の抜けた生ぬるいビールを飲まされていると感じたのは、私だけではなかろう。
次々と政治家が壇上に立ち、会場を埋め尽くした党員たちに耳あたりのよい言葉を吹き込む。具体的なことは何も言わないが、大風呂敷を広げて、いかに自分たちの候補者が国民のために身を捨てる覚悟があるかを滔々と述べる。党員たちはバカにされているとも知らず、拍手と興奮で応える。
こういう光景を4日も見せつけられたら一般市民ならうんざりする。はしゃいでいるのは大メディアと当事者たちだけ。私自身、今回のようなレベルの低い党大会(民主、共和両方)を見たのは初めてだった。まさに新記録であり、今日のアメリカ政治の堕落を見せつけられた思いだった。
かつての大統領選では高尚な演説、品格のある言葉を候補者たちから聞くことができた。中でも、1960年9月26日に行なわれた史上初の大統領選候補者テレビ討論会の映像を、私は今でもはっきり思い出すことができる。当時43歳だった民主党の大統領候補、ジョン・F・ケネディは、こうオープニング・ステートメントを口にした。
「1860年の選挙においてアブラハム・リンカーンは語った。問題は国民の半分が奴隷で半分が自由というこの国家が、存続し得るだろうかということである。1960年の大統領選挙において、問題は半分の人々が自由で半分の人々が奴隷という今の世界が、果たして存続でき得るのかということである」。
目の前の相手を叩くことよりも、国家として持つべきヴィジョンを語り、現在のアメリカの問題点を指摘し、そして自身の哲学と政策を説く。人々にじっくりと考えさせる言葉を使う。政治家としての器の大きさが演説を通じて見えてきたものだった。
実際、この選挙に勝利したケネディは様々な困難を乗り越えながら、人種差別を禁止する公民権法成立への道を開いた。また、部分的核実験停止、ソ連とのデタント、月への挑戦など人類にとってのポズィティヴな分野を推し進めた。
だが今回の選挙戦では、今のところ候補者から心を揺さぶられるような高尚な言葉を聞いていない。
民主党・オバマ、共和党・ロムニーの両陣営が選挙に投じる資金は既に、2008年に突破した10億ドル(約800億円)をはるかに上回ると言われている。小国の国家予算クラスの額である。
だが、カネで品格は買えない。
両陣営がカネの力で実施しているのは低俗なネガティヴ・キャンペーンばかりだ。アメリカに住む私の知人は、「どのチャンネルをつけても、どちらかの候補が相手をこき下ろすCMしか流れない」と嘆いていた。
オバマ側はロムニーの創設した投資会社時代の手法をあげつらい、ロムニー陣営はオバマの経済政策の失敗を批判する。建設的な批判・検証であればいいが、短い時間にまとめるテレビCMでは、短絡的な感情に訴えるものしか作れない。ファクト・チェックしてみれば大部分は事実関係に誤りがある。
今回の選挙から、「スーパーPAC」と呼ばれる政治団体が寄付金を無尽蔵に集めて投入できるようになったため、今後はさらに醜い中傷合戦が展開される可能性さえある。有益な情報が伝えられず、テレビ局が儲かるだけではあまりに残念な選挙戦と言うしかない。
※SAPIO2012年10月3・10日号