ぶっちぎりでペナントを手にした巨人。優勝してからというもの、スポーツ新聞各紙及びテレビのスポーツ番組で「優勝の立役者」として持ち上げられたのが、エースの内海哲也だった。
帽子の庇にマジックで「柱」と書き、投手陣の、チームの柱として活躍することを誓っていた内海。前リーダーの高橋尚が抜けたあとを引き継ぎ、2年前からはグアム自主トレのリーダーとして若手を引っ張る一方、移籍したばかりの杉内俊哉には「トシ兄」とあだ名をつけてすぐにチームに溶け込ませるなど、その功績は大きい。
しかし、その内海になぜか原監督は冷たい。決定的だったのは、9月28日の横浜戦だった。
「今季、最多勝を狙う内海にとって、この試合は必ず勝ってタイトルに王手をかけたい試合だった。エースとして杉内(12勝)には負けられないし、ライバルの広島・前田健太(13勝)を振り切って単独最多勝を狙いたい。しかし、いくら優勝を決めた後の消化試合とはいえ、あの仕打ちは……」(記者の一人)
この試合、スタメンからは坂本勇人、長野久義、村田修一らが外れ、代わって抜擢されたのは、外国人のボウカーとエドガーだった。捕手も實松一成がケガで欠場したこともあって、3年目の市川友也との初コンビということになった。
試合はエドガー、藤村の急造二遊間にミスが出て先制され、5回途中で無念の降板。“お客さん”の横浜相手に、のどから手が出るほど欲しい1勝を挙げることができなかった。
「囲みでも“何もないです”を3回も繰り返し、無言で引き上げていきました。相当ショックを受けていました。対照的に原監督が、負けた後なのに“強化試合、強化試合”と軽口を叩いていたのが印象的でしたね」(前出の記者)
事件にはまだ続きがある。杉内が先発した翌日のオーダーには、しっかりスタメンに坂本と長野ら主力が復帰していたのである。
だが、この手の仕打ちはこれが初めてではない。内海が先発した9月6日の阪神戦でも、谷佳知、矢野謙次、大田泰示とスタメンをガラリと代え、チャンスに打てずに引き分けた。7回1失点と好投した内海だが、勝ち星はついていない。その翌日のヤクルト戦では、坂本、長野が猛打賞の働きで8対2と快勝。投げた杉内は楽々と12勝目を挙げている。
連日報じられた美談の裏にあった謎の“確執”。エース内海の不満が、ポストシーズンの戦いに爆発しなければいいのだが。
※週刊ポスト2012年10月19日号