【書評】『日活昭和青春記 日本でもっとも長い歴史をもつ映画会社の興亡史』(松本平/WAVE出版/1890円)
【評者】坪内祐三(評論家)
大正元(一九一二)年に出来た日活は今年創業百年に当たる。だからそれを記念した上映会やイベント、DVDの発売も数多い。そんな中で刊行されたのがこの『日活昭和青春記』だが、普通の人がイメージするいわゆる日活本とは趣が異なる。日活百年と言っても普通の人がイメージする日活とはまず石原裕次郎や小林旭や吉永小百合の日活とロマンポルノ(一九七一年以降)の日活だろう。創設百年でありながら実は日活は新しい映画会社だった。
日活が映画製作を再開したのは昭和二十九(一九五四)年(まさにその年、著者松本平は日活に入社し美術部に配属される)。だがそういう新しい会社だったからこそ、しかも当時は“五社協定”があって各社のスターたちを使うことが出来ず自前で新しい俳優たちを生み出して行かなければならなかったから、ニュースターを次々生み出し、一躍トップ会社になる。
昭和三十三年には日本の映画人口は十一億を超える。だがそれがピークで(しかし翌年も翌々年も十億を超えているから誰もそのことに気づいていない)、テレビの普及もあって、あっという間に映画は斜陽産業となる。この「昭和青春記」で描かれるのはそれからの日活裏面史だ。
社長はワンマンで知られ金儲けのことしか頭にない堀久作。その時労働組合を描いた映画「キューポラのある街」の助監督だった根本悌二が日活撮影所組合を結成し、松本氏はその根本委員長の片腕となり、根本悌二が堀父子に代って日活の経営者となるとやがて松本氏も取締役に就任する。つまり苦労を共にする。本書はその回想集である。
有楽町にあった日活ホテルはとてもゴージャスなホテルとして知られていた(石原裕次郎と北原三枝の結婚式もここで行なわれた)。そのホテルのロビーの二枚の写真(普段と組合大会が開かれた時のもの)は貴重だ。この対照的な二枚こそが実に日活なのだ。
※週刊ポスト2012年10月19日号