独裁国家や共産圏の国で、外国人ジャーナリストが当局に拘束される――冷戦時代にはよく耳にしたが、これは決して過去の話ではない。今や日本の最大の貿易相手となった中国では、いまだにこうした行為が行なわれている。
2004年3月、野口東秀氏は産経新聞中国総局の常駐特派員として北京に赴任したが、北京空港に降り立った途端に洗礼を受けた。
「税関を通る列に並んでいたら、税関職員が私を指さして『こっちに来なさい』と呼ばれた。スーツケースを2つともひっくり返され、天安門事件関連などの書籍3冊を没収されたのです。天安門事件関連の写真集などもあったのですが、そちらはおとがめなし。適当に没収しているとしか思えず、明らかに嫌がらせでした」
中国政府の外交部や新聞弁公室(メディア統制機関)などは、海外メディアの中国関連の記事に目を通している。中国への批判的なスタンスで知られる産経の記者が新たに赴任して来たので、ジャブを放って威嚇したのだ。
それから6年間にわたって北京で特派員生活を送ったが、中国の公安当局による尾行や盗聴は日常茶飯事で、公安に拘束された回数は20回を超えた。この数は他社の特派員と比較してもダントツである。
数ある拘束体験のなかでも特に印象的だったのは、2009年のチベット取材に対する妨害だったと野口氏はいう。この年は、1959年にチベットで起きた対中独立運動「チベット動乱」の50周年にあたり、騒乱の予兆があった。野口氏はチベット族に取材するため、同年3月に四川省の成都空港に降り立った。
「空港のロビーに着くと、2人の公安が待ちかまえていました。予約していたホテルに向かう車も尾行され、ホテルに到着すると、今度は別の公安2人がロビーにやってきて、こちらを窺っていた。チベット取材にふさわしい幕開けでした」
中国公安の尾行には2種類ある。行動を監視するための尾行と、威嚇目的で相手が気づくようにする尾行で、このときは明らかに後者だったという。
「翌朝、急いで他社の特派員と一緒に白タクを雇ってチベット族の居住区に向かい、若干の取材ができました。そこからさらに奥地に向かったんですが、未舗装の山道を5時間走り続けてみなヘトヘトになり、食堂宿の明かりが見えたのでそこに泊まることにしたんです。しかし、2階の部屋で休もうとしたところ、ドアがバーンと開いて警官4人が乱入。そのまま警察署に連行された。
そのときは20分ぐらいで宿に帰されたのですが、翌朝5時半に宿を出ようとしたら、すでに1階に7人の制服・私服の警官が待っていて、その場で尋問が始まりました。
取材妨害だと抗議すると、『この先は道路封鎖しているので通れない』『外国人の身の安全を守るのが我々の仕事だ』などという。我々は絶対に行くと宣言すると、警察は『白タクを雇うのは違法だ』と言い出し、押し問答の末、撤退せざるをえなくなった。わざわざ警察の車で康定県という町まで送り返されたのです。
そこでようやく解放されたと思ったら大間違い。食堂に入って席に着いたら、外事弁公室だと名乗る2人の男女が現われ、『あなたが誰か知っている』『安全のため成都に戻ってほしい』と帰れの一点張りです。車まで用意され、結局、成都まで送り返されました。
その翌日、成都のホテルでもう一度取材の段取りを組んでいると、今度は警官3人がやってきて、ものすごい剣幕で『お前、ちょっと来い!』と怒鳴り、ホテルのスリッパのまま歩いて警察署に連行された。『容疑は何だ』と聞くと、カメラと、携帯電話を調べながら『今にわかる』というんです。
でも私は、連行される途中でカメラのSDカードをこっそり抜いて、取材先の電話番号が登録されている携帯電話も靴下の中に隠していたので、取り上げられた携帯電話から何か出るわけがない。それで解放されるかと思いきや、『北京に帰すから荷物をまとめろ』と。いくら抗議しようが聞き入れられず、飛行機の予約までされて、北京に戻されたのです」
※週刊ポスト2012年10月19日号