10月8日に京都大学の山中伸弥教授がノーベル医学生理学賞を受賞し、改めて基礎研究の重要性がクローズアップされた。2002年にノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊博士は、翌年、平成基礎科学財団(以下、財団)を設立し、若者の教育と基礎科学の普及に奔走している。「意欲と希望を持った若者の教育に力を注ぐことが、将来の日本の繁栄につながる」と指摘する。
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私の財団では基礎科学の面白さや奥深さを高校生や大学生に知ってもらうため、その分野で一流の学者を招いて「楽しむ科学教室」という授業を開いています。学者の方々には「難しくても話の内容のレベルは落とさず、十分な時間をかけて、分かりやすく丁寧に説明して下さい」とお願いしています。
ただし誰でもこの教室に入れるわけではありません。先生に引率されて来るとか、お母さんに連れられて来るというのはだめで、あくまで「私、聞きたい」と本人が申し込んでくる人だけを対象にしています。受け身で話を聞くのではなく、積極的に自分から問いかけていく、そういう態度が望ましいと考えているからです。毎回数十人から100人ぐらいの人が参加しますが、基礎科学を学ぼうという、やる気のある若い人がいるのはうれしいですね。
基礎科学は、どんな宗教の人でも、どんな政治形態の国の人でも、自由に議論や話し合いができる学問です。そして何が正しくて何が正しくないかということは、真理が最終判断をしてくれる。つまり実験や観測によって必ずチェックされるということです。
毎年、アジアのいろいろな国から若い人を集め、ノーベル賞学者など著名な研究者に講師をお願いして、アジア・サイエンス・キャンプという催しが1週間開かれます。今年はイスラエルで開かれましたが、21の国から225人の学生が集まりました。中東は宗教的にも政治的にも難しい問題を抱えていますが、そうした地域で平気でできるのも基礎科学という学問ならではでしょう。
それでも世の中には何で基礎科学なんかやるの? と疑念を持っている人が少なくありません。私のニュートリノの研究もそうですが、確かに基礎科学というのはすぐに産業に役立つわけではありません。何の儲けにもつながらないのなら、そんな研究に血税を使うことはないというのも一つの考え方でしょう。
しかし、その国が基礎科学にどれくらい本気で取り組むかということは、その国がどれだけ文明国なのかを量るバロメーターだと私は思っています。日本が文明国と世界に認められたいと考えているのなら、予算の何%かを基礎科学に使うべきではないか当時の鳩山由紀夫首相にこう申し上げましたが、あまり効き目はなかったようです。
日本は理系の分野で多くのノーベル賞受賞者を輩出しています。これはアジアの中で突出しており、国民は胸を張っていいと思います。明治維新のころ、日本の若者たちが必死になって西洋の学問を勉強しました。その伝統が引き継がれてきたのでしょう。
しかし昨今のニュースなどを見ていると、気がかりな点がないわけでもありません。子供を塾に通わせ、筆記試験でいい点を取らせることだけに夢中になっている親が増えているように思うからです。
そして子供が親離れしないせいか、外国に留学する学生が減っているとも聞きました。このままでは日本の将来が危ういことになりかねません。若い人は興味のある対象を見つけ、それに自分から積極的に取り組むという姿勢が大事です。今一度、教育のあり方を見つめなおす必要があるのではないでしょうか。
今はずいぶん教育に金がかかるようになっています。学生は奨学金をもらって勉強しても、返すのが大変だという話も聞きます。教育費がこんなに高くなるということはおかしいと思います。たとえ裕福でなくても、意欲や希望を持った若い人がしっかりとした教育を受けられるように、国は予算を出して策を講じていただきたい。若い人を育てることが日本の将来の繁栄につながると思うからです。
※SAPIO2012年11月号