独裁国家や共産圏の国で、外国人ジャーナリストが当局に拘束される――冷戦時代にはよく耳にしたが、これは決して過去の話ではない。今や日本の最大の貿易相手となった中国では、日中対立の深刻化も影響してか、いまだにこうした行為が行なわれている。
中国での取材で最も危険なのは、軍事の領域に踏み込むことである。
2008年5月に四川大地震が起きたとき、当時、産経新聞中国特派員だった野口東秀氏は最大の被災地だった四川省の北川県にバイクを使って一番乗りした。しかし、到着を待ち構えていたかのように圧力がかかった。
「食堂で食事をしていたときに、携帯に電話がかかってきた。表示を見たら普通の番号ではなく、おかしな数字がズラズラ並んでいる。訝りながら出てみると、『宣伝部(中国の政治工作部)だ』というんです。『お前は歓迎されていない。帰れ』『これは警告だ』とはっきりいわれた。中国では滅多に「警告(ジンガオ)」という言葉は使わないので、相当に怒っていることはわかりました。
相手には『(取材が)終わったら帰りますよ』といって電話を切ったんですが、店を出たら、何とすでにウインドーにスモークを入れた4WDの車が待ちかまえていて、歩き出すと案の定ついてくる。振り返ると、いきなり発進して、私の車の目の前で急ブレーキで止まり、また猛スピードでバックしていった。完全に威嚇でした」
宣伝部が災害報道の取材を邪魔する理由は、四川省に核関連施設が多数存在するからだという。四川省の核施設に触れることは中国政府最大のタブーであり、震災取材を口実に海外メディアが嗅ぎ回ることを警戒していたのである。
「震災より前の話ですが、入り口にロケット模型を展示している核施設の話をルポで書いたところ、その記事が出た数日後に模型は撤去されました。施設の場所を特定されないためだと思われますが、仕事が早い」
また、不用意な写真撮影も拘束される原因となる。
「四川大地震の被災地周辺には山中にレーダーが設置されている。写真を撮って公開したりすると、命を危険にさらすことになります」
こうした命懸けの取材経験から、野口氏は中国人と対峙する独自の交渉術を体得したという。
そんな野口氏の目に、尖閣問題などを巡る日本政府の対中外交はどう映るのか。
「日本人は押せば引くと見られるのが一番問題です。押し返せばケンカになるので、中国人と交渉するときは冷静に理詰めで主張し続けることが大事です。
もう一つ重要な点は、ボスのメンツを立てること。野田首相は胡錦濤と話をした2日後に尖閣の国有化を発表し、胡錦濤のメンツをつぶした。最悪のやり方でした」
実体験に基づく野口氏の提言を日本外交の責任者たちはどう聞くか。
※週刊ポスト2012年10月19日号