昭和を彩った有名人たちがこぞって参加した『週刊ポスト』の麻雀大会。その全てを間近で見てきたのが、プロの雀士として長く活躍した古川凱章氏(74)である。連載黎明期から雀聖・阿佐田哲也氏をサポートし、連載中期からは観戦記を担当してきた。決して色あせない当時の記憶を、古川氏が語った──。
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1000回以上の歴史を持つ「有名人勝ち抜き麻雀大会」に、私は関わり続けてきました。
そもそも、私をこの仕事に引き込んだのは阿佐田哲也先生でした。当時は先生が小島武夫さんや私と「麻雀新撰組」を立ち上げようとしていた時期で、目白にある先生の自宅に足繁く通っていたんです。
目白の部屋に行くと、毛布の上に麻雀牌が転がっていて、先生が「ウーン」と頭を抱えている。「なんですかコレ?」と私が聞くと、「『ポスト』の麻雀大会の牌譜で場の流れを再現しているんだ」というんです。
先生は4人分の牌譜をいちいちめくりながら観戦記を書いていました。「これじゃあ大変だ」ということで、私も手伝うことになったんです。一局ごとに全体の牌の流れをまとめた「整理牌譜」と呼ばれるものをその頃から作るようになり、その役を引き受けたのです。
その後、阿佐田先生が体調を崩されたこともあり、私が観戦記も担当するようになります。ゲストは時代を代表する豪華な方々ばかりでしたね。
まず真っ先に思い浮かぶのが、俳優の若山富三郎さんの奇っ怪な打ち筋です。大物手を立て続けに上がり、トップ確定かと思われたところ、万子の複合メンツで「ロン!」と勢いよくやったのですが、実はテンパっていなかった。致命的なチョンボなのですが、当の若山さんはまったくこたえた様子がない。ご本人は何もいいませんでしたが、このときのチョンボは「ワザとだ」と私は確信しています。
実は、「勝つと来週も出なきゃならんのか?」と若山さんが脇にいるスタッフに尋ねていたのを聞いていたんです(笑い)。稽古に熱心なことで知られる方ですから、本業以外に多くの時間を取られたくなかったんでしょう。だけど、危険牌を捨てて振り込みにいっても当たらない。どうしたらいいか……点数を減らすにはこれしかないということで、とぼけてチョンボというのが真相と私は考えています。
『塀の中の懲りない面々』でお馴染みの作家の安部譲二さんも面白かった。
対局中に誰かが『あ~っ、マズイ!』と呟いた。その途端、安部さんは両手で十三枚の手牌をサッと持ち上げ、そのままどこかへ逃げようとしたんです。若い頃に培った「条件反射」なんでしょう、警察の手入れと勘違いして、勝手に体が動いたんですね(笑い)。
「勝負強い」と感じるのは、やはりスポーツ界の方ですね。勝負の綾がよくわかっているし、ここぞという勝負所での腹のくくり方が違う。
特に印象に残っているのは、V9時代の巨人のエースだった城之内邦雄さん。
この人の麻雀は始まったら一切周りを見ない。食い散らかそうが何をしようが、ただただアガリに向かって前に突き進むんです。手牌が4枚だけになってもおかまいなしです。対局相手は「テンパったな」と思って勝手にオリてしまうんですが、私が城之内さんの後ろに回って見てみると、その手牌4枚はバラバラでした(笑い)。
そんな打ち方をしていると、たいていは相手の当たり牌を持ってきて捕まるものですが、あの人の場合は振り込まない。あんな不思議な人は滅多にいません。それで10週勝ち抜くんですからね。
同じスポーツ選手でも、城之内さんとは対照的な人がいました。あるとき、会場に行くと玄関に「ボートか!」と思うような大きな靴が揃えてある。30cmじゃきかない。そう、「十六文キック」のジャイアント馬場さんです。豪快な見た目とは裏腹に、彼は慎重すぎるほど慎重なタイプ。当たるんじゃないかとビクビクしながら恐る恐る手牌を切る姿がコミカルでした。
強運の持ち主はやはり女性に多い。代表格が岸田今日子さんです。彼女も5週以上勝ち抜いていますが、特に上手いわけじゃない。それなのに十二本場なんて驚異的な連荘をしたこともあります。後ろで見ていても、整理牌譜を読み返しても、特別な打ち方をしているようには思えない。しかしなぜか勝ち抜いていく。不思議な打ち手です。
連載終了時、保管していた整理牌譜は段ボールにして10箱以上になりました。引っ越しなどもあり処分してしまいましたが、譜面がなくたって、今でも当時の思い出は生き生きと蘇ってきます。
【プロフィール】
●古川凱章(ふるかわ・がいしょう):1938年神奈川県生まれ。元プロ雀士。阿佐田哲也氏、小島武夫氏らとともに「麻雀新撰組」を結成。トッププロとして活躍するかたわら、阿佐田氏から引き続き小誌連載「有名人勝ち抜き麻雀大会」の観戦記を20年の長きにわたって担当する。
協力■吉祥寺「弾飛瑠」 取材・文■田村康 撮影■木村圭司
※週刊ポスト2012年10月19日号