肺カルチノイドで亡くなった流通ジャーナリストの金子哲雄さん(享年41)。金子さんは流通ジャーナリストとして賢い選択、賢い消費をすることで豊かな生活が送れるということを旨としていた。だからこそ自分の最後、葬儀さえも“情報”として発信したいと考えていた。葬儀会社との打ち合わせに自ら参加、花を飾る位置や遺影、霊柩車のタイプまで、納得のいくまで詰め、自分で指定した。
金子さんは、連載していた女性セブンの担当記者に、こう打ち明けていた。
「葬儀会社のかたに最初にお会いしたとき、『えっ! ご本人の葬儀ですか?』って驚かれましたけどね(笑い)。僕は、細かく仕切ることが大好きなんです。自分の仕切りで、参列いただいたかたがたに、気分よく帰ってほしいと思ったんです。だって、これが、皆さんにできる最後のサービスですから。へんな言い方かもしれませんが、僕にとって自分の葬儀のプロデュースは、結構楽しい作業でした」
金子さんの思いに、妻の稚子さんをはじめとする周囲の人たちが応えた。
「一応葬式の台本をつくったほうがいいですよね、作家さんにお願いしたいと言ったら、“金子さん、別にそこまでしなくても、式次第が決まっているから大丈夫”といわれてしまいましたが」(金子さん)
自分にとって生きるとは、最後まで引退しないで全力を尽くすこと。サッカーにたとえればピークで引退する中田英寿タイプではなく、自分を求めている人がいる限り最後まで仕事をする三浦知良タイプ――そんなたとえをしていたこともある。
ベッドで休んでいる時も、ずっとテレビはつけっぱなし。起き上がると、朝日新聞や日本農業新聞、折り込みチラシ、ネット上の売り上げランキング…と、さまざまな情報に目を通していた。金子さんいわく、「寝たきりアクティブ」。
「いつ死ぬのか」と不安を抱えて生きるより、「好きなことをしていれば、いつ死んでもいい」と思いたかった。いつ求められてもコメントできるように、準備していたという。
※女性セブン2012年10月25日号