戦後日本の礎を築き、いまなお「大宰相」と称される吉田茂・元首相。彼を主人公とした大型ドラマがこの秋、NHKで放送され、話題を呼んだ。だが、「このドラマには大きな欺瞞が含まれている」と、元外務省国際情報局長の孫崎享氏はいう。近著『アメリカに潰された政治家たち』(小学館刊)で「アメリカにとってもっとも都合のいい“ポチ”」と指摘した吉田の実像が、ドラマでは全く描かれていないというのだ。
「君が総理になることを許したのは、私が日本でした最大の失敗だ」
「戦争で負けたが、外交では勝つ。それが私の信念でした」
ドラマのクライマックスで、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)最高司令官を解任されたマッカーサーと吉田の会話である。
NHKドラマ『負けて、勝つ~戦後を創った男・吉田茂~』の放映が完結した(9月8日~10月6日まで全5回)。敗戦直後の外相・首相就任から1951年のサンフランシスコ平和条約と旧日米安保条約の締結までを中心に、日本の独立にかけた吉田の信念を描いた作品だ。吉田役が「ハリウッド俳優」渡辺謙であることひとつとっても、NHKが力を入れた作品だったことがうかがえる。
視聴率は初回11%から最後は8%弱まで落ち込み、満足できる数字とは言い難かったが、「戦後史の勉強にもなるし、骨太で見応えがあった」(民放ドラマ制作関係者)と評価は高い。
だが、この内容こそ問題だと、孫崎氏は指摘する。
「ドラマの冒頭には毎回、『このドラマは歴史に基づいて作られたフィクションです』という断わりがありますが、多くの国民はやっぱり実話をもとに作られたドラマだと思って見ます。フィクションだからといって時代考証をおろそかにしていいわけではありません。
たとえば、身長184センチの渡辺謙が、155センチしかない吉田を演じている。米国側、たとえばマッカーサーと対峙したときには、この差は全く違った印象を与えます」
作中、吉田は一貫して「被占領時代にもかかわらず、マッカーサーにいいたいことをいい、アメリカと対等に渡り合った人物」として描かれ、マッカーサーに「面倒な男」と評されている。言いなりにならない相手というニュアンスだ。吉田が初めてGHQに車で乗り付ける場面では、MPに裏口に回るよう指示されると、吉田はこう言い放つ。
「俺は日本国を代表してマッカーサー元帥に会いに来た。なぜ裏口からコソコソ入らにゃいかんのだ」
孫崎氏は、こうした吉田像は史実と異なるという。
「ドラマとは異なり、実際は吉田茂がアメリカに抵抗した痕跡などどこにも見られません。むしろ日米安保条約と日米行政協定(現在の日米地位協定)を締結し、対米隷属の基礎を作った人物です。吉田本人も著書の中で、『鯉はまな板の上にのせられてからは包丁をあてられてもびくともしない』と、GHQに対して全面的に服従する姿勢で臨んだと明かしているのです」(孫崎氏)
日米安保条約と同時に締結された行政協定によって、「米軍が治外法権を持ち、日本国内で基地を自由使用する」ことが取り決められ、それは現在まで概ね変わっていない。さらに、当時の国家予算は1兆円弱だったが、吉田茂は在日米軍維持費に毎年550億円も支払うことに合意していた。
にもかかわらず、ドラマではほとんど逆の人物像に描かれた。孫崎氏が特に問題視するのは、吉田と、その長男で英文学者の健一が対峙する場面だ。
「健一は吉田を『マッカーサーの奴隷』と批判し、自主自立路線を主張するが、吉田は『政治の実態を知らない子供じみた理想論』にすぎないと一蹴する。その言葉に説得力を持たせるためか、当時健一は40歳近かったにもかかわらず、20代の若い俳優(田中圭)が演じています。吉田の路線が現実的には正しかったと見せたいのでしょう」(孫崎氏)
※週刊ポスト2012年10月26日号