この夏大量の人が道を埋め尽くし、「日米安保改定以来の規模」と言われた脱原発の官邸デモ。そこには、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)時代ならではの強みと弱みがあった。
6月29日金曜夜、首相官邸周辺は脱原発のシュプレヒコールを上げる人、人、人の波で大変な熱気に包まれていた。デモの参加者の多くは、組織に動員されたのではなく、おもにツイッターやフェイスブックで呼び掛け合って自主的に集まった。
大飯原発再稼働決定後、ツイッター上には「ノダブタ(野田首相のこと)は信用できない」「ノダブタに俺たちの意思を伝えよう」「ノダブタに天誅を加えなければならない」といった“熱い”書き込みが溢れていた。
6月16日に野田首相が関西電力大飯原発3、4号機の再稼働を決め、7月1日から実際に再稼働する直前のタイミングである。
官邸を取り囲んで脱原発を訴える金曜デモは3月に始まり、当初の参加者は数百人だったが、次第に人数が増え、この29日には主催者(首都圏反原発連合)発表で15万~18万人に達した。その後、7月29日日曜夜にはキャンドル片手に国会議事堂を取り囲む脱原発集会が開かれ、こちらは主催者発表で20万人が参加した(警察発表による参加者数はそれぞれ1万7000人、1万数千人)。
「15万とか20万という数字は正しいかわからないが、こんなにたくさんの群衆が政府にノーを突きつける光景を見たのは60年安保以来ですよ。大げさに言えば、これが日本版ジャスミン革命になるのではないかと思いました」
夏のデモや集会に参加した60年当時を知る男性はそう語る。
デモや集会の参加者のほとんどは、旧来左翼や労組や“プロ市民”などのメンバーではなく一般の人だ。特定の組織、団体が「動員」をかけたのではないことは、これまでも多くのメディアが報じてきた。その証拠に組織主体のデモや集会に付きもののゼッケンも腕章もほとんど見られなかった。
代わりにデモ参加者を衝き動かしたのはSNSであり、イデオロギーとは無関係の「雰囲気」だったようだ。
新左翼をマークし続けている公安関係者が話す。
「革マル、中核なども反原発のデモや集会を独自に行なっていますが、動員力はせいぜい100人、200人程度です。一部の新左翼組織が官邸デモなどに来て署名集め、アンケート取りなどを通してオルグしようとしていましたが、参加者からはほとんど反応がありませんでした。ある新左翼団体が首都圏反原発連合に参加している有名な環境団体に入り込もうとしましたが、これもうまくいかなかったようです」
脱原発デモが盛り上がっていた時、ネット上では別の現象が起きていた。あるITジャーナリストが語る。
「3.11以降、被災地の状況が報道されるのを見て、自分の善意や正義を見せなければならないという空気がネット上に一気に広まりました。強迫観念に駆られ、ツイッターやフェイスブックに脱原発の意見を書き込んだ人も多かったようです。特にフェイスブックは実名が出ますから、どうしても世間の空気に流されて“いいヒト”“正義の人”として振る舞いがちなのです」
その下地は3.11以前に出来上がっていた、とジャーナリストの井上トシユキ氏は解説する。
「東日本大震災が起こる前の2010年から11年にかけて中東各国で連鎖的に『アラブの春』が起こり、ツイッターなどのSNSがデモや集会の動員に大きな役割を果たしたと盛んに報道されました。そのため日本でも、SNSこそ真の民主主義を実現するプラットフォームなのだという考えが広まりました」
そうした下地ができた状態で大震災によって原発事故が起こり、一気にSNS上で脱原発ムードが盛り上がったのである。
官邸デモでは、「原発止めろ!」「再稼働反対!」「子供を守れ!」「未来を救え!」などとシュプレヒコールを上げながら、片手に持ったスマホの画面をちらちらと見ている参加者が多い。デモについてのツイッターやフェイスブックの書き込みを読んだり、Ustreamの生中継を見たりしているのである。
書き込みをしている人もいるし、デモの様子をビデオに撮ったり、群衆を背景に同行の友人、知人に自分の写真を撮ってもらったりしている人もいた。なかには、現場の記録写真というより参加の記念写真を撮っているかのような趣を漂わせている人もいた。
ネットにアップされたそれらの文章や写真を読んだり、見たりした人が翌週のデモに参加する。そしてまた……と繰り返されるうちに参加者がどんどん増えていった。
参加者の意識には濃淡があったが、官邸デモはまさにSNS時代ならではの現象と言えるものだった。
※SAPIO2012年11月号