「記録より記憶に残る選手」といえば、ミスタープロ野球・長嶋茂雄氏(76)のことだが、「政策より記憶に残る総理大臣」といえば、なんといっても、このほど引退表明した森喜朗・元首相(75)だろう。内閣支持率は一桁台の超低空飛行だったが、「迷言」でお茶の間に笑いを提供し続けてくれた功績は大きい。
世界中で爆発的にインターネットの普及が進んでいた2000年、森政権下でも国を挙げてIT産業を盛り上げようとしていた。その頃、ズバッとひと言。
「イット革命」
仮にも一国の首相である。意図しての“読み間違い”に違いない。いや、そう信じたい。そのお陰でこの言葉は光通信以上の速さで全国に伝わり、ITに対する国民の認識を広げてくれた。
党京都府連のパーティでは、プライドの高い京都府民へのリップサービスからか、隣の大阪をこう評した。
「大阪は痰ツボ。金儲けだけを考えて、公共心のない汚い町」
氏はあとで「大阪の文化性を高めてほしいと願っての激励」だと説明したが、その意を汲むことのできた大阪府民はいたのだろうか。神道政治連盟国会議員懇談会では次のように発言。
「日本の国。まさに天皇を中心としている神の国」
目の前にいる方々を喜ばせようとするサービス精神は政界随一だった。
そんなこんなで「サメの脳みそ、ノミの心臓」と評された森氏だが、肝っ玉のほうは図太かった。辞任直前の2001年2月、「えひめ丸沈没事故(※注)」では、ゴルフ場で事故の報告を受けた後もプレーを続け、批判する記者団を「ゴルフが悪いことなのか!」と一喝。普通の総理大臣なら国民の安否が気になり、いてもたってもいられなくなるところだが、おかまいなし。日本の宰相の度量と見識を内外に見せつけた。
森氏は小学生にこう語りかけたことがある。
「おじさんはラグビーがやりたくて東京に行ったが途中でダメになり、そのおかげで政治の世界に入った。ボールがあっちこっち転がるうちに総理大臣になっちゃった」
夢をもてない時代の子供たちを、「運があればなんとかなる」と勇気づけたかったのかもしれないが、こんな男をトップに据えたこの国の不幸のことまでは、やっぱり思いが至らないらしい。見事な肝っ玉である。
※注:えひめ丸事件/2001年2月10日、愛媛県立宇和島水産高校の練習船「えひめ丸」が、米ハワイ州オアフ島沖で航行中に、海面に浮上してきた米原子力潜水艦「グリーンビル」と衝突して沈没。乗務員35人のうち、教員5人、生徒4人が死亡した事件。
※週刊ポスト2012年10月26日号