「小説家も詩人もアーティストも“3.11”を必死になってとらえようとしているのに、なぜ日本映画だけが何事もなかったようにしているのか。ぼくはそれが情けなかった。原発の映画をなぜ撮ったのかではなく、日本映画界の人たちに原発の映画をなぜ撮らないのかと問いたい。誰もやらないなら、ぼくがやると思って撮ったのが、この映画です」
長島県という架空の県を舞台に、原発事故に翻弄される小野家という一家族を主人公に据えた映画『希望の国』を製作した理由をこう語る園子温監督。その映画の原作でもあり、製作過程を描いたドキュメンタリーでもあるのが『希望の国』(リトルモア/1575円)だ。
映画製作のために、福島の人々に取材し、映画の輪郭が見えてきた。そして、彼らが震災当日の様子を語るとき、「寒かった」「怖かった」というふたつの言葉に集約されることに気づいたという。
「ドキュメンタリーや報道の客観的なものには出てこない、情感を撮ろうと思いました。主人公たちの心情に身を寄せて、あの日を疑似体験する。これはドラマにしかできないことです。寒かった、怖かったを、ドラマで描くだけで充分ではないかと…」
しかし、製作は難航した。
「最近のぼくの映画は話題になったこともあって、新作を撮ると聞くと映画会社は食いついてきたのに、原発がテーマだと知ると、蜘蛛の子を散らすように去って行ったんです」
やっとのことでイギリスと台湾の会社の出資を受けて映画は完成。今年のトロント国際映画祭では早々に最優秀アジア映画賞を受賞した。監督はカッパを着てマスクを付け、ガイガーカウンターで放射線量を測りながら、福島に滞在していたというが、家族の心配は並大抵のものではなかっただろう。作中で妻・いずみを演じた女優の神楽坂恵は、園監督の現実の妻でもある。
「いくら撮影のためとはいえ、妻が心配する気持ちもわからないではないです。しかし、彼女も先日、福島・南相馬市に来て一緒に滞在し、福島の映画を撮らなければいけないということを理解してくれました」
当初、映画のタイトルは『大地のうた』だったが、途中で『希望の国』に変わった。改題したときには、「本当にこの国は希望の国といえるのか」と怒りのこもったアンチテーゼの意味も込めていたという。しかし、2012年、福島で新しい年を迎えたことでその気持ちは一変した。
「車で行けるところまで行き、そこから電動アシスト自転車で原発20km圏内に入り、初日の出を見ました。50年生きてきた中で、いちばん美しい、真っ赤な太陽でした。そこで大きく深呼吸して、すがすがしい気持ちになったんです。こんなに美しい日の出があるなら、まだ希望はあるんじゃないか。よし、タイトルは『希望の国』でいこう、と決心がつきました」
映画『ヒミズ』は震災から2か月後、『希望の国』は、10か月後に撮影した。現在も「3.11を歴史のヒトコマとして風化させたくない」と、次回作のために福島でフィルムを回し続けている。
「あの悪夢を洗いざらい分析し、反省すべきところは反省するべきです。今度また原発事故が起きたら世界の笑いものになりますよ」
※女性セブン2012年11月1日号