2006年にノーベル文学賞に最も近い賞として知られるフランツ・カフカ賞をアジア圏で初めて受賞してから6年、ノーベル文学賞の有力候補として、名前が挙げられ続けている村上春樹さん(63才)。英国の大手ブックメーカーの受賞者予想では、今年初めて村上さんがトップに立った。受賞すれば、1968年の川端康成、1994年の大江健三郎に次ぐ日本人3人目の快挙となるはずだったが──。
しかし、受賞したのは中国の作家・莫言さん(57才)。なぜ村上さんではなく、莫言さんが選ばれたのか。関東学院大学教授の富岡幸一郎さん(54才)はこう分析する。
「これまでに中国国籍の作家で受賞した人はいませんでしたからね。ノーベル賞は人道主義的な作風の作家が取ることが多いのですが、莫言さんは中国の農民の生活を描き続け、一人っ子政策に批判的であるなど、その要件も満たしていました。
一方の村上さんも近年、『壁と卵』など積極的に社会的な発言をしていましたが、時期が早すぎました。大江さんが受賞してから18年しか経っていません。川端から大江までは26年、間が空いています。“ノーベル文学賞は地域の持ち回り”という説もありますから、そうしたバランスも見たのではないでしょうか」
『壁と卵』とは、2009年2月に村上さんが行ったエルサレム賞の受賞スピーチのタイトルで、大きな話題を呼んだ。
当時、パレスチナとイスラエルの紛争が激化し、イスラエルはパレスチナのガザ地区に軍を投入。一般市民に多くの犠牲者を出したイスラエルは、世界から非難を浴びていた。村上さんに対しても「イスラエルの文学賞を受賞すべきではない」という批判があがったが、彼はあえて授賞式に出向き、こう語ったのだ。
「もしここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常に卵の側に立ちます。そう、どれほど壁が正しく、卵が間違っていたとしても、それでもなお私は卵の側に立ちます」
壁と卵とは何のたとえなのか。村上さんはこう続けた。「爆撃機や戦車やロケット弾や白燐弾や機関銃は、硬く大きな壁です。それらに潰され、焼かれ、貫かれる非武装市民は卵です」──。パレスチナに対するイスラエルの攻撃を堂々と批判した村上さんの姿勢に、当のイスラエルの観客が喝采を送り、称えた。
村上さんはそれまでもノーベル文学賞の有力候補の1人だったが、こうしたスピーチを経て、さらに多くの読者を獲得し最有力候補として名前が挙がるようになった。
※女性セブン2012年11月1日号