引退を表明した羽田孜・元首相(77)。羽田氏が、いち早く環境問題を意識し、半袖スーツを着始めたのは1979年のこと。その後、四半世紀も遅れて日本が「クール・ビズ」に突入したことを思えば、羽田氏の先見の明と信念には恐れ入る。
1994年4月に首相となるも、わずか64日で辞任。スーツの袖と並び、その任期の短さも有名だ。
自民、新生、新進、太陽、民政、民主と6つの政党を渡り歩いたが、羽田氏の政治信念もまた終始一貫していた。それは“小沢一郎の影”として振る舞うことだった。
『柔にして剛―人間 羽田孜』(講談社刊)の著書がある作家の大下英治氏がいう。
「羽田氏は人が良く、人付き合いのバランス感覚に優れていた。その対極にあったのが“戦う男”小沢氏だった。2人は1969年の衆院選で初当選を果たした同期で、性格が両極端だったことから、羽田氏自身が『馬が合う』というように、長く行動を共にした。
小沢氏とすれば、人柄がよくてクリーンなイメージもある羽田氏は“旗印”としては据わりがいい。羽田氏のほうも小沢氏を信頼していたので、自分が神輿になって、小沢氏が陰で実権を振るうことを良しとしたのだろう」
1996年にはいったん袂を分かったが、2003年に民主党の最高顧問として、小沢氏率いる自由党との合併に動き、「(小沢氏との)しこりはない」と語った。
その後は脳血栓の後遺症に悩まされながらも議員生活を続けた。2009年の政権交代後の首班指名では、小沢氏に脇を支えられながら1票を投じる。40年余にわたる長い議員生活において、小沢氏とは支え、支えられる関係だった。そして、2人の関係の最後まで根幹は変わることはなかった。
やはり、一本気な男である。
※週刊ポスト2012年10月26日号