山中伸弥・京大教授のノーベル賞受賞に泥を塗った森口尚史氏による前代未聞の“虚言”騒動。日本中を失笑の渦に巻き込んだその陰で、ノーベル平和賞もまた世界を唖然とさせていた。受賞したのがEUだったからである。
「ヨーロッパを争いから平和の地へ変えた」というのが理由だが、チェコのクラウス大統領が「悪ふざけか冗談かと思った」と酷評したように、いかにもタイミングが悪かった。ギリシャの財政危機に端を発した信用不安が世界経済を大きく揺さぶる一方、スペインやポルトガルなど本来加盟に値しない国々を強引に抱え込んだツケが地域間の格差を生んでいるからだ。
そもそもヨーロッパが比較的平和だったのは、東西冷戦の枠内で両陣営の力が均衡していたからだという見方もある。百歩譲ってEUがヨーロッパに平和をもたらしたとしても、今、この時期の受賞はKYであることに違いはない。
ノーベル平和賞といえば、これまでも「今なぜ?」と首をかしげたくなる人物が受賞していることで知られる。さしずめその筆頭はパレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長だろう。中東和平を実現させたのが受賞理由だが、無差別殺人テロを指示し、1972年のミュンヘン五輪でのイスラエル選手への殺害テロ事件を起こしたように平和とは対極の人物だ。
中東和平に関していえば、アラファト氏以前にもイスラエル首相・ベギン氏とエジプト大統領・サダト氏に授与された。一度ならず二度までもノーベル平和賞を受賞したにもかかわらず、いまだ彼の地に平和は訪れていない。
こうした例は枚挙にいとまがない。たとえば、ニクソン政権で大統領補佐官だったキッシンジャー氏はベトナム戦争を終結させたとして1973年に受賞した。しかし、その後も南北のベトナムは戦闘を続けている。
ベトナム戦争を遂行し、「北爆」の責任者だったキッシンジャー氏が平和賞というのだからこれほどに皮肉な話はない。キング牧師やマザー・テレサのように真に平和に貢献した人たちもたしかにいるが、どうしても平和を導いたとはいい難い人たちが目に付く。
「政治的な意図や思惑がわかりやすく隠されているのがノーベル平和賞です。服役中の民主活動家・劉暁波氏に与えたのも中国を見せしめにするためです。歴代受賞者の顔ぶれを見ていくと、世界情勢の裏側の潮流がよくわかります」(ジャーナリスト・高山正之氏)
平和のためではない“平和賞”──そろそろお止めになってはいかがだろうか?
※週刊ポスト2012年11月2日号