韓国の大統領候補が出揃った。与党セヌリ党の朴槿恵(パククネ、60)、野党・民主党の文在寅(ムンジェイン、59)、無党派の安哲秀(アンチョルス、50)の3人でいい勝負になりそうだが、産経新聞ソウル駐在特別記者、黒田勝弘氏が注目するのは安氏だという。以下、氏の分析である。
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近年の韓国政治は与野党、左派右派の勢力分布は伯仲している。無党派の安哲秀は進歩派だから与野対決という意味では“朴vs文・安”になる。このため野党陣営が政権奪還するためには文・安に票が分散しては勝ち目はない。一本化が選挙戦の最大の焦点といわれるゆえんである。
韓国の現代政治史では1987年、野党陣営が金泳三、金大中の候補一本化ができず政権獲得に失敗している。与党陣営でも1997年、李会昌・李仁済の分裂で敗北した。与野党とも一本化しなければ負けるというわけだ。
しかし、一本化できなくても、たとえば1992年のように、野党陣営の金大中の当選が確実視されたため、与党陣営が危機感を抱き、金泳三・鄭周永に分散していた票が終盤に金泳三に集中し勝った例もある。
今回、野党陣営は旧盧武鉉政権を受け継いだ文と無党派の安の支持層が重なっている。選挙参謀として文のキャンプから安のキャンプにはせ参じた者もいる。与党の朴にとっては、安人気が高いだけに戦いは厳しい。安は“台風の目”である。
若い世代を中心に無党派から圧倒的支持を受けている安哲秀の人気は、日本での橋下人気を思わせる。既成政治、既成政党への批判をバネに「改革」を看板に有権者に「新たな政治参加」を呼びかけている。
しかし「日本の橋下」が右派的で野性的なのに対し「韓国の橋下」安哲秀は左派的で育ちのいいお坊ちゃん風だ。スタッフや周辺には無党派を装った左派が結構、いる。これは気になる。
橋下は「地方役人の給料カット」や「刺青職員追放」など具体的な主張と政策で下からのし上がってきたのに対し、安哲秀は「正義」「疎通」「和合」「真心」「経済民主化」「水平的リーダーシップ」「ディジタル・マインド」……長年やってきた大学教授のように、抽象的で美しい言葉を国民に上から(?)投げかけ、人気なのだ。
安は医者の家庭に生まれた。エリート中のエリートのソウル大医学部卒だが米国留学で経営学を学び、最先端のコンピュータ・アンチウイルスソフト開発でIT起業家としても成功した。最先端のITベンチャービジネスで大儲けしたため「韓国のビル・ゲイツ」といわれる。
夫人もソウル大医学部同期で、米国留学では弁護士の資格を取得。一人娘は中学から米国で育ち、現在、スタンフォード大学で勉強している。現代韓国人なら誰でもうらやむ最高のファミリーだ。
安は小柄だが品のいい風貌で、物腰や物言いはソフトだし、女性的でさえある。韓国の伝統的政治家イメージとはまったく異なる。
左派ないし進歩派寄りといわれる背景には、デモもせず勉強ばかりしてきた坊ちゃんエリートの「左翼コンプレックス」があるようだ。デモ全盛の中でおとなしく過ごした自らの学生時代については「役割分担」と弁明しているが。
メディアの政治担当記者たちは彼を「チャールス」と呼んでいる。「哲秀」の韓国語読み「チョルス」からきているが、これは絶妙だ。このニックネームには「育ちがよくてどこか韓国人離れしている」という皮肉と同時に、ソフトで威張った感じのない親しみが込められている。
韓国の国民がこんな超エリートの政治アマチュアを大統領に選ぶとすれば、これは革命的だ。与党の朴槿恵は「初の女性大統領」として韓国政治にとって大きな画期になるが、安哲秀という選択もまた、まったく新しいリーダーシップとして韓国社会の一大変化ということになる。
※SAPIO2012年11月号