【書評】『のろのろ歩け』/中島京子・著/文藝春秋/1365円
【評者】鴻巣友季子(翻訳家)
高度成長の波に乗って突っ走る中国を背景にした中編集だ。三編の舞台は北京、上海、台湾。作者によれば、『のろのろ歩け』は中国語の挨拶「慢慢走(マンマンゾウ)」の「意図的直訳」で、意訳すればtake it easy とかtake care。タイトルにも似て、本書の物語は意図的直訳というか、愛すべき意図的誤訳に満ちている。
第一編「北京の春の白い服」は、中島京子版「ロスト・イン・トランスレーション」というべき佳作。一九九〇年代末、中国初の本格的な女性モード雑誌「麗華」創刊に向け、日本から女性編集者が意見番として招聘されてくる。
中国ではまだ、ファッションをシーズン前に紹介する習慣がなく、意思の疎通ができないまま、一月の北京で春服探しに奔走。アメリカ人の恋人はそんな彼女を「言論の自由のため自由主義国から乗り込んだ義勇兵」のように見たがるし、かたや「麗華」編集部では「女性の地位がたいへん低い国でがんばる女性」として鷹揚な励ましを受け、どちらの勘違いにもうんざり。とはいえ彼女自身も中国といえば、古い映画で見た農村のイメージで止まっている。
次の「時間の向こうの一週間」は、上海駐在員の妻が主人公だ。夫に蔑ろにされながら住居探しをするうち、どこにも無い不思議な一週間を過ごす。最後の「天燈幸福」は、亡くなった母の過去に存在した謎の「三人のおじさん」と会いに台湾へ――。
異国での文化的ギャップとそれによる戸惑いが絶妙にすくいとられる。しかし異文化の差異を書くに終わらないのが中島京子だ。もっとも近しい間柄のはずの恋人や夫婦や親子の間の距離も同時に浮き彫りにされる。
「台湾のおじさん」も、「北京の春服」も、雲南を「敗者の天国」と呼ぶことも、ある種、意図的な誤訳なのだ。人々はほんの少し意味をずらして譲ることで、自分と相手の領分を守り、気持ちを収めて次に歩み出す。狂言回しのように出てくるインチキくさい留学生の若者がまたとても良い。
剣呑な雲行きの今、日本でも中国でも読もうよ、この本。
※週刊ポスト2012年11月2日号