映画『Shall we ダンス?』から16年。草刈民代と役所広司の共演でも話題の映画『終の信託』(10月27日公開)。その原作に惚れこんで、自ら脚本・監督を手がけた周防正行監督が、現役弁護士でもある原作者の朔立木(さくたつき)さんに会いに行き、特別対談が実現した。
周防:朔先生と最初にお会いしたのはずいぶん前になりますね。『それでもボクはやってない』の取材のために、ぼくが刑事弁護を担当する弁護士のかたがたの勉強会に参加するようになったころからですから。でも、先生が小説を書いていらっしゃることはその当時まったく知りませんでした。
朔:周防さんは、その会での発言を聞いていると、普通の弁護士よりもずっと法律的なセンスがいい。何をやってらっしゃるかたなのかと思って、あるとき、聞いてみたら映画を作ってます、って。そうか、失礼ながら、私の知らない小さな映画でも作っているのかなって、思っていたんです(笑い)。
周防:そうでしたか(笑い)。先生は小説を書かれていることは内緒だったんですよね。
朔:そうです。それであるとき、勉強会の後で、原作料が入ったからみんなに御馳走すると言ったら、周防監督に“『死亡推定時刻』でしょう!”と言われて、とっさに“どうして知っているんですか?!”と言っちゃった。
周防:それで、先生が小説を書いていることが、みんなにバレちゃったんですよね、すみませんでした(笑い)。でも、先生の小説は以前から読ませていただいていて、『死亡推定時刻』は映画化したいとも思っていたんです。そうしたら、先にドラマになっちゃって…。
朔:また別のあるときに、“あの女医さんのお話いいですね。映画化を承諾していただけますか”と聞かれました。私は“あんな地味な話、映画になるんですか?”って聞きましたよね?
その「女医さんのお話」こそ、『終の信託』の原作となった『命の終わりを決めるとき』だった。呼吸器科女医は、患者を安楽死させた疑いで告発される。実在の事件を元に描いた、話題作だった。
周防:ぼくはこの小説を読んですぐ、そのシチュエーションに惹かれたんです。ひとりの女医が検察庁に行く。呼び出し状を示すと、相手の態度が変わる。いきなりそこで、権力というものを背負った人たちが、個人を圧迫するわけです。検察庁対ひとりの女性。その対比を映像化することが、まず映画的な興味でした。
そして、いつ始まるかわからない取調べを待つ女が、その不安の中で、自らの過去を振り返る。こういったシチュエーションが映画的だと思ったし、この小説の持つ空気感をこそ映像化したいと思いました。終末医療や検察庁での取調べといった要素は、その先にあるものだったんです。
朔:そうでしたか。
周防:それに、ぼくはここ数年の間に身近な人を亡くしていて、医療の現場について思うところがあった。取調べ室の中での出来事も、まさにぼくが『それでもボクは~』にかかわって以来、ずっと勉強し続けてきていることですから、ふたつとも無視できないテーマでした。ぼくは、パーソナルな部分で共感できないと映画は撮れないんです。
朔:私もこの小説を書いたのは、自分の幼児体験がまずありました。小学2年生の、高い熱を出したときのことです。そのとき、母が「41℃も熱がある。どうしましょう」と、おろおろしている。父が「頭を冷やして後は祈るしかない」と。クリスチャンでしたから(笑い)。外からは意識がないように見えたかもしれないけれど、私には両親の声はちゃんと聞こえていました。
周防:それが意識のない状態の原体験なのですね。
朔:はい。それと大人になって、隣家のおじいさんが入院した際に、点滴を外さないよう、ベッドに縛り付けられていて、お嫁さんがお見舞いに行くと、“首を絞めてくれ。ここで殺してくれ”と言われるってお嫁さんがとても苦しんでいて。
また、同じころ、作家の遠藤周作さんの最期の様子をなにかで読んだんですね。体中管だらけの植物状態になり、息子さんは早く楽にしてあげたいと言ったけれど、奥さんは反対で。いよいよ最期になって、奥さんも同意し、すべての管を抜くと、遠藤さんは世にも嬉しそうな顔をして亡くなったという…。
周防:そうなんですね。
朔:それらがすべて私の中に蓄積していた。そこへ、ある女医さんが患者さんを安楽死させたことが、殺人罪に問われたという川崎事件が起きて…。私は、この女医さんは、患者さんを人間として愛していた。だから手を貸してあげたのだと思うんです。それがこの小説のテーマです。
※女性セブン2012年11月8日号