北海道旭川市にある「堂前宝くじ店」は、宝くじファンから「聖地」と呼ばれている。観光バスが乗りつけ、老若男女問わず多くの人が「女神のおばあちゃん」と呼んでひとりの女性に握手を求めていく。
その女性とは、61年間にもわたって宝くじを売り続けてきた堂前輝子さん(83才)。これまで数多くの高額当せん者を輩出してきた“幸運の女神”だ。
1900年からたばこ店を営んでいた堂前家で、輝子さんが宝くじを売り始めたのは、戦後間もない1951年、21才の頃だった。
「たばこ組合の友達から『宝くじを売ってみない?』と誘われたのがきっかけでした。当時、結婚したばかりで、子供も既に1人いたんですよ。家事と育児をしながら宝くじを売ることができるのかって、心配でしたね。
でも、そのとき公務員をしていた夫が『やってみればいい。きっと楽しいよ』と背中を押してくれたんで、たばこと一緒に宝くじの販売を始めることにしたんです」(輝子さん・以下同)
明治政府によって禁止されていた宝くじが復活したのは、終戦直後の1945年10月のこと。それから6年しか経っておらず、1等は10万円だったという。
「最初に渡されたのは30枚。売り切れるのかどうか心配でしたね。みんなまだ“宝くじ”というものがどういうものかわからないという状況だったんですよ。売れないといって、宝くじ販売をやめていく店も多かったですね。最初は市内に100軒くらいあった宝くじ売り場が、1年後にはあっという間に3軒になりましたから。たばこを買いに来た人に勧めても、『わからないものに払うお金はない』と断られることもしょっちゅう。
でも、始めたからには『うんと高額の当せんを、うちから出したい!』と思って、毎日せっせと売りましたよ。お客さんにひとりひとり声をかけて、一生懸命説明して、1枚ずつでもコツコツ売っていきました。それでようやく完売できて。今思えば、宝くじ売りに向いていたのかもしれませんね」
そんな小さな売り場に転機が訪れたのが、販売開始から2年後の1953年だった。
1等が100万円となった「北海道くじ」で、道内で唯一、その1等を出したのだ。各メディアに取り上げられ、一気に「堂前宝くじ店」の名前が知れわたる。1954年からは「全国自治宝くじ」が登場して宝くじ人気が全国的に高まっていき、1970年代に入ると、数千人が店を訪れるように。
「前日の夜から並ぶ人もいて、冬は家からストーブを持ってきて、暖をとる人もいました。警察の人が警備に来たくらいです」
1979年に1等2000万円のサマージャンボが登場するや、その年にいきなり1等が出た。その後もジャンボの1等当せん金が増えていく度に、多くの高額当せん者を輩出してきた“奇跡の売り場”なのだ。
平成に入ってからカウントしているという、1億円以上の当せん者だけでも37人。それ以外にも、数百万円から数千万円単位の当せん者も含めると、「堂前宝くじ店」で幸運を手に入れた人の数は100人をくだらないという。
今ではジャンボ発売期間になると、道内はもちろん、はるばる道外からも人が訪れ、1日で最大1万人が訪れる人気売り場となっている。
「うちの売り場には窓口が2つあるんですが、窓口を覗いて『輝子さんのほうで買いたい』と指名されることもよくありますね。あと、『当たりました!』と報告に来てくださる当せん者のかたや拝んでいくかたもいて(笑い)。本当にありがたいです」
※女性セブン2012年11月8日号