10月17日付の夕刊紙・日刊ゲンダイで<推定年収は5億円超>と報じられた、人気毒舌芸人・有吉弘行(38才)。
有吉は1994年4月、森脇和成(38才)とお笑いコンビ・猿岩石を結成。1996年、『進め!電波少年』(日本テレビ系)の企画で、ふたりはユーラシア大陸をヒッチハイクで横断し、一躍“国民的アイドル”となった。
<固定給で確か月100万ぐらい貰っていました。(中略)一番多かった月で、2千万円ぐらい>
著書『お前なんかもう死んでいる』(双葉社刊)で、当時の収入について、有吉はこう綴っており、貯金は絶頂期で7000万円にまで膨れあがっていたという。
しかし、猿岩石ブームは長くは続かず、彼の人生は天国から地獄へと落ちていく…。
<月収2千万からゼロに至るまでは、4年ぐらいでした。(中略)転がるようにどんどん減っていって、月7~8万円っていう一桁が何カ月か続いたと思ったら、本当にゼロになったんです>(『お前なんかもう死んでいる』より。以下<>内同)
仕事も収入も完全に“ゼロ”になった有吉。
「彼は“あの猿岩石の有吉が売れなくなってバイトしてる”と言われるのが嫌で、バイトもせず、貯金を切り崩しながら生活をしていたんです。食事は1日1食、予算は1日250円で、スーパーの見切り品がご馳走だったそうです。7000万円もあった貯金が底を突いたときには、“自殺”を考えたこともあったみたいですよ…」(芸能関係者)
当時の彼の唯一の仕事は、毎日、午後4時に事務所に電話して、翌日の仕事の有無を確認することだった。しかし、かけてもかけても「仕事ないです」そんな日がほとんどだったために、有吉は精神的に壊れていく。
<「またないのか…」ってどんどん追い込まれていきます。確実に絶望します。ある日気付いたら僕、午後4時になると、体が震えるようになってました>
“午後4時のトラウマ”のせいで、今でも日々、不安で仕方がないという。テレビやラジオで、たびたびこんなことを語っている。
「仕事してても“お金が欲しい、お金を貯めておかなきゃ”しかないです、頭に」
だからこそ、質素な暮らしを続けているのだろう。有吉と飲んだことがあるという若手お笑い芸人が、こう話す。
「有吉さんの後輩芸人に連れられて、下北沢の居酒屋チェーン店に行ったら、有吉さんがいて一緒に飲ませてもらったんです。結構、飲んで、有吉さんもベロベロになってたんで、“ご馳走さまです”って言ったら、“きみ、オレが呼んだ人じゃないよね? なんできみの分まで払わなきゃならないんだよ!”って怒られて2000円払わされました…(苦笑)」
実際、有吉はテレビで、
「かわいがっている後輩になら、いくらでも奢ってやりたいが、知りもしない後輩の連れにお金を使うのは絶対に嫌だ」
とキッパリ宣言しているほど、徹底しているのだ。
「最近、有吉さんに会ったときに貯金額を聞いたら、“1億円はあるよ”なんて冗談ぽく言ってましたけど、本当にそれくらい貯め込んでいると思います…」(お笑い関係者)
レギュラーが増え、収入が増えたら、誰もが家や車、遊び、ファッションと、生活が派手になっていく。しかし、有吉はそんな気配をみじんも見せず、売れない時代と変わらぬ生活を続けているのだ。
※女性セブン2012年11月8日号