10月25日に行なわれたプロ野球のドラフト会議で、阪神タイガースは、今年の甲子園初夏連覇の藤浪晋太郎(大阪桐蔭高校)を1位指名。オリックス、ロッテ、ヤクルトとの抽選になったが、和田豊監督が左手で当たりクジを引き当てた。
阪神は、日本一に輝いた直後の1985年に清原和博を外して以来、12回連続で続いていた1位指名の抽選外れをストップさせ、低迷中のチームにとって明るい話題となった。普段は右利きの和田監督だが、「左手で(抽選箱の)いちばん下から上へと決めていました」と抽選前に決めた作戦が的中したようだ。
実は、和田監督は現役時代から「左」にこだわるフシがある。
1986年版の『プロ野球選手写真名鑑』(日刊スポーツグラフ特別号)の「クセ」欄を見ると、「スパイクは左足から履く」との記述があり、この項目が存在した1990年版まで一貫していた。
このクセ欄は、野球選手特有の「ゲンかつぎ」と同義で、1986年版でほかの阪神を見ると、抑えの中西清起は「救援失敗の翌日はソックスを新調」、いぶし銀で第1回WBCコーチも務めた弘田澄男は「好調時は同じストッキングをはく」と書いてある。
ちなみに、1985年版までは「クセ・ゲンかつぎ」という項目になっていた。この年にルーキーだった和田監督は、「守る時2球ごとに右手の指先をなめ土をつける」とちょっと変わったゲンかつぎを披露している。
和田監督は「スパイクは左足から履く」ようになって3年目の1988年に、レギュラーを奪取。以降も、そのゲンかつぎを辞めずに続け、1990年には自身初の3割を記録。リードオフマンとして、1990年代の阪神暗黒期を支えた。
この日、利き腕ではない「左」を使い、高校球界ナンバーワン投手を引き当て、阪神のクジ運の悪さを止めた和田監督。現役時代から続けてきた「左」へのこだわりが、藤浪の交渉権獲得につながったのかもしれない。