次期総選挙の台風の目となりうるのは「大阪維新の会」でも、「日本維新の会」でもない。橋下徹・大阪市長個人のカリスマ性である。「今の日本に必要なのは独裁。独裁と言われるくらいの力」――2008年に大阪府知事として政界にデビューして以来、その言葉通りの政治行動を見せた。
知事就任当初は府議会に足場がなく、文字通りゼロからのスタートだったが、統一地方選で旋風を起こし、府議会と市議会でたちまち多数派を形成した。その上で、知事だけでは改革を実現できないとわかると、大阪ダブル選挙を仕掛けて市長に転じ、松井一郎・現府知事とともに府市を握った。そして矢継ぎ早に行政改革(職員基本条例)で職員労組による行政支配を覆し、教育基本条例で無責任な教育委員会制度に風穴を開けた。
だが改革には痛みを伴う。橋下氏が掲げる「既得権の液状化」には血も流れる。リーダーにその覚悟と強力な政治力がなければ、改革は潰されるだろう。
その意味で、地方政界とはいえ、徒手空拳からわずか4年で“独裁”を可能にする政治基盤をつくりあげた能力は刮目に値する。維新への期待が高まってきたのも、橋下氏の行動力がどこかの「言うだけ番長」とは違うと国民が判断しているからである。
しかし、その橋下氏は全国政党「日本維新の会」を旗揚げして総選挙準備を進める一方で、「市長と党首の兼務は可能」と自らの出馬を否定したと受け取られる発言を繰り返すなど、国政に転じることに躊躇が見受けられる。
維新ブレーンの1人が語る。「橋下さんは総理への意欲はある。しかし、出馬すれば足下から『大阪の改革を途中で投げ出すのか』という批判を浴びる。それを振り切って出ても、一大臣程度では何もできない。それなら自分が出馬しなくても維新が国政に影響力を持てるだけの議席が取れればいいと慎重になっているのだろう。
本人出馬は次の次という選択肢もある。逆に、世論調査で人気が落ちてくるようなら一か八か自ら先頭に立って風を起こすしかない。どちらにせよ、決断は選挙ギリギリになるでしょう」
橋下氏自身が出馬しなければ、維新はせいぜい近畿ブロックを中心とする地方政党にとどまるだろう。本誌シミュレーションでもそのような分析結果が出ている。当選した国会議員たちはトップ不在の中で選挙後の政界再編に翻弄され、既成政党の補完勢力として利用されて消えていくのが関の山ではないか。そうなれば、橋下氏に「次の次」のチャンスはなくなる。
■文/武冨薫(ジャーナリスト)
※SAPIO2012年11月号