10月25日に行なわれたプロ野球ドラフト会議で、巨人は昨年に引き続き、東海大学の菅野智之投手を1位指名。ドラフト前、DeNAや楽天の指名も噂されたが、巨人の単独指名となった。
伯父にあたる原辰徳監督は、会議終了後すぐに東海大学を訪れ、菅野と対面。過去に小林繁や上原浩二(現・レンジャーズ)などが身にまとった「背番号19」のユニフォームを渡し、入団会見さながらの様相を呈した。
昨年のドラフトでは巨人と競合した日本ハムが交渉権を獲得。幼い頃から巨人入りを志望し、伯父のもとでのプレーを夢見た菅野は日本ハム入りを拒否。いわゆる「就職留年」という形で、東海大学に籍を残したまま、1年間を過ごした。MAX157キロを誇り、1年目からローテーション入りが期待される逸材だが、実戦から遠く離れているだけに不安も囁かれている。
過去に「1位指名」を拒否し、大学・社会人入りや浪人など遠回りをしたのちに、プロ入りした選手は20人。
かつての江川卓や元木大介は、1年浪人しハワイへ野球留学。巨人入り後も、江川は通算135勝に最多勝2回、元木も勝負強い打撃で15年間にわたり現役生活をまっとうしたが、「そのままプロ入りしていればもっと活躍できた」というのが大方の見解になっている。
ほかにも、1990年に8球団の競合からロッテがクジを引き当てた小池秀郎(のちに近鉄)や1976年に南海の1位指名を拒否した武藤一邦(のちにロッテ)など、遠回りした選手の大半は、期待通りに活躍したとはいえない。
だが、1995年以降に拒否した3人は、それまでの定説を一変させた。1995年近鉄拒否の福留孝介(のちに中日)、1998年オリックス拒否の新垣渚(のちにダイエー)、2000年オリックス拒否の内海哲也(のちに巨人)は、いずれもプロ入り後にタイトルを獲得。「拒否したことが遠回りではなかった」ことを証明している。
「巨人入りにこだわった」という点で考えると、日本ハム、ロッテと2度も指名拒否した長野久義がいる。だが、この長野は2010年巨人入団以降、1年目・新人王、2年目・首位打者、3年目・最多安打と毎年タイトルを獲得。「指名拒否=遠回り選手は大成できない」というジンクスを完全に打ち破っている。巨人に恋い焦がれた菅野は、先輩の内海や長野に続くことができるか。