10月25日に行なわれたドラフト会議では、花巻東高校の160キロ右腕・大谷翔平に多くの注目が集まった。北海道日本ハムファイターズから指名されたものの、メジャー挑戦を表明した彼は一体どんな選手なのか。ノンフィクションライターの柳川悠二氏がレポートする。
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花巻東監督の佐々木洋は「しばらくは雄星(菊池雄星・現埼玉西武ライオンズ)のように怪物と呼ばれるような選手とは出会わないでしょう」と話していたが、すぐに同等以上の才能が入学し驚いていた。
入学時、佐々木と大谷が交わした目標は160キロのストレートだった。その後、目標は上方修正された。
「雄星を超えようと思っていたら雄星以上にはなれない。160キロを目指したら158キロぐらいにしか届かない。163キロを目標にしよう」
佐々木がそう大谷に伝えた時、既に大谷はウエイトルームの壁に「163キロ」の目標を紙に書いて貼っていたという。
高校生最速となる160キロを達成したのは、今夏の岩手大会準決勝だった。それまで甲子園に2度出場し、1勝も挙げられていない投手がドラフトの行方を左右するほど注目を集めたのは、この記録達成があったからに他ならない。
しかし、決勝で敗れ最後の夏は甲子園のマウンドに立つことはなかった。
親元を離れたおよそ2年半の日々、両親が最も心配したのは、大きく成長を続ける大谷の身体だった。大谷は2年夏から今冬にかけて、成長痛に苦しみ練習ができない時期があった。母・加代子が振り返る。
「入学時はえんぴつみたいな細い身体で、体力もなかった。試合にはすぐに出させてもらいましたが、月に一度は風邪を引いたり熱を出したりしていた。親としては心配ですが、あの子が弱音を吐くことはありませんでした。
それほど遠い距離でもないのに、夏に引退するまで翔平が実家に帰ってきたのはわずか3回ぐらい、それも一度は震災の時で……。成長痛の時もこっちがいくら『どうなの?』と電話で聞いても『大丈夫、大丈夫』って。私たちはあの子の状態を他の親御さんから聞いていたんです」
大谷を強行指名した日ハムは、当該年のナンバーワン選手を獲りに行くのがドラフトの方針(だからこそ昨年も菅野を強行指名)だが、山田正雄GMは9月に韓国で行われた18U世界選手権を視察した際、大谷の評価についてこう話していた。
「投手としても、打者としても魅力ですが、現時点では打者としての方が完成度が高い。高校通算56本塁打のパワーがあるし、何よりスイングスピードが速い。だから広角にも打ち分けられるし、ミート力もある」
だが、プロでは投手として挑戦することを大谷は決めている。
※週刊ポスト2012年11月9日号