数多の地震災害に見舞われてきたこの国では「地震予知」は悲願だった。年間の地震関連予算は100億円以上に上り、地震学者には国をあげてのサポート体制が構築されている。だが、その成果が表われるのは一体いつなのか。2万人近い尊き命が失われた昨年の東日本大震災の後、国民の中からも疑問の声が叫ばれるようになった。
実は、内部からも自省の声が噴出していた。10月16日に開かれた日本地震学会の特別シンポジウムでは、「そろそろ地震予知はできないと認めるべきではないのか」という本音が会場を支配していた。ジャーナリストの伊藤博敏氏がレポートする。
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50年前を起点とする日本の地震予知研究は、1970年代に入って急展開した。およそ150年周期で発生すると考えられている東海地震の危険性が叫ばれはじめたのだ。
1977年2月、東大理学部助手の石橋克彦氏が「駿河湾地震の可能性」というレポートを発表。それは、前回発生の東海地震が1854年ということを踏まえ、「いつ地震が始まってもおかしくない」という切迫した内容だった。
その煽りをうけ1978年6月、国会のスピード審議で大規模地震対策特別措置法(大震法)が成立した。
だが、切迫していたはずの東海地震は、それから34年の月日が流れたが、未だに発生していない。それどころか、東海地方は大震法の“縛り”を今も受けているという。ある学者はいう。
「気象庁は地震活動のデータを毎日24時間モニタリングし、異状が確認されれば、“判定会”を招集。3日以内に東海地震発生の恐れがある場合、総理大臣に報告され、閣議決定を経て警戒警報が発令され、高速道路や新幹線が止められる。強制力を持った警戒体制が敷かれています。でも、どれだけモニタリングしても前兆現象がなく発生する地震が多く、無駄となる可能異性が高い。その際は、莫大な金額で建てた観測基地も意味がなかったことになる」
大震法は、まだ「地震予知が可能」という楽観論に支配されていた頃の法律である。“反予知派”の筆頭であり、シンポジウム実行委員長である東京大学大学院のロバート・ゲラー教授は、こう切って捨てる。
「34年の間に、日本にどれだけ多くの地震が発生しましたか。1983年の日本海中部地震、1993年の北海道南西沖地震、1995年の阪神・淡路大震災、2004年の新潟県中越地震、そして今回の東日本大震災。ことごとく予知できず、尊い命が失われた。大昔の法律が今も存続することが、地震研究を歪めています」
どれだけモニタリングしても意味がない――その証左が文科省の外郭団体である独立行政法人防災科学技術研究所が作成する「確率論的地震動予測地図」(ハザードマップ)だという。地震学の粋を集めて作成されたはずのハザードマップだが、ゲラー教授は手厳しい。
「この地図は、地震発生確率の高い地区ほど濃い色で塗りつぶされているのですが、阪神・淡路大震災も東日本大震災も、大きな地震の震源はいずれも色が薄い、確率が低いとされた地区だった。こうなると予知は“害悪”ですらある。ハザードマップを見て、地震に遭う確率の低い地区だと思って住んだら、大震災に見舞われたという人がいるかも知れない」
地震予知より、発生した大地震をどう最小限の被害に留めるかに力点を置くべきだと主張する地震学者も多い。それほど地震予知の実現はハードルが高い。
地震学の権威で武蔵野学院大学・島村英紀特任教授はいう。
「そもそも自然界のどういう現象が前兆となり、地震が発生するのか、それが科学的にまったく解明されていないんです。もちろん、その方程式を一生懸命見つけようとしている研究者はいます。ただ、その方程式が仮に分かったとしても、地震に関する地下世界のデータが何もない。今の地震学者が収集しているデータは地表のデータですからね」
※週刊ポスト2012年11月9日号