今年のドラフト会議も、主役は日本ハムだった。メジャーリーグ挑戦を表明したばかりの大谷翔平(花巻東高校)を指名。報道陣に「評価していただいたことはうれしい」と繰り返した大谷だが、その表情は明らかにこわばっていた。
巨人熱望の菅野智之(東海大)を指名した昨年に続き、2年連続で強行指名を敢行。「その年いちばんの選手を指名する」という球団理念に基づいた戦略だろうが、拒否された場合の痛手は相当大きなものとなる。
「過去のあるチームを例に取ると、わかりやすい」という声もある。それは、1990年代の10年間、すべてのシーズンでAクラスに入ったものの、2000年代に入ってから低迷の続くオリックスだ。野球担当記者が解説する。
「オリックス低迷の要因は、ドラフト1位指名の相次ぐ失敗と拒否にあるといっても過言ではない。『がんばろうKOBE』を合い言葉に、イチローや田口壮を中心に仰木彬監督の元で1995、1996年とパ・リーグ連覇。最近の人気低迷ぶりからは考えられないが、当時は本拠地のグリーンスタジアム神戸が満員になることも珍しくありませんでした。
しかし、その頃からドラフトでの戦力補強に陰りが見えはじめた。ドラフト1位では、1995年の今村文昭、1996年の杉本友、1997年の川口知哉が、いずれも大成せず。さらに、1998年には新垣渚(現・ソフトバンク)に、2000年には内海哲也(現・巨人)に入団拒否される。新たなスターを生み出せないまま、イチローがメジャーに流出し、チームは一気に弱体化したのです。
日本ハムの場合、2004年の札幌移転以降、糸井嘉男、ダルビッシュ有、中田翔などドラフト1位選手が軒並み成長していることもあり、2年連続で強行指名をできたという背景もあるでしょう。しかし、もし大谷が入団拒否するようなら、オリックスの二の舞になってしまうかもしれませんね」
大谷を説得できるかどうかに、チームの未来が掛かっているといっても、けっして大げさではない。