10月24日、野村克也氏は新著『オレとO・N』(小学館)を上梓した。長嶋茂雄と王貞治、両氏との因縁や名勝負を軸に、プロ野球がたどってきた歴史をひもときながら、独自の野球観を語るファン必読の好著である。野村氏がONについて語る。
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私は記録でも記憶でもONに敵わなかったかもしれないが、一つだけ勝ったと自負していることがある。「人を遺した」ことだ。「財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すを上とする」という格言がある。財産や立派な仕事を遺すより、人材を育てることの方が尊いという意味だと私は捉えている。
例えば、選手や監督・コーチとして川上さんの薫陶を受けた人間からは、ONをはじめ藤田元司さん、森祇晶、土井正三、高田繁、堀内恒夫など、多くの監督経験者を輩出している。コーチとしては黒江透修、淡口憲治など枚挙にいとまがない。
その点では比べるのもおこがましいが、私のもとからも数多くの指導者が育っている。古田敦也を筆頭に、古くは古葉竹識、尾花高夫、小川淳司、渡辺久信。コーチでは伊東昭光、吉井理人、伊藤智仁ら。今年、巨人の戦略コーチとして優勝に導いた橋上秀樹も同じだ。
ではONはどうか。確かに長嶋からは中畑清、西本聖らが巣立っているし、王からは秋山幸二が育ってはいる。だが、ごく少数だ。今後はもしかしたら遺した人材の数で抜かれるかもしれないが、少なくとも現段階では私は自分を褒めてやってもいいと思っている。なぜこんな話をするのかといえば、これが現在のプロ野球の危機に直結していると考えるからだ。
今年のパ・リーグを制したのは日本ハムの栗山英樹監督。彼も私の教え子だ。就任1年目で優勝なんて、栗山からすれば私のことがバカに見えているかもしれないが(笑い)、それはさておき、彼に感心した点は一つだけだった。優勝インタビューで、アナウンサーから「どんな采配をしたか」と聞かれた際、「ボクは何もしていません」と答えたことだ。これを聞いて、私は正直だなと思った。
「何もしていない」のは事実だ。だが彼だけではなく、現在の監督全員にいえることだ。これは人を遺せなかったONや、私も含めた我々の世代の責任も大きいが、由々しき事態である。
世間は日本シリーズで盛り上がっているようだが、私にいわせれば、このポストシーズンの試合はつまらなくて仕方がない。こんな時期にオープン戦をやるんじゃない、といいたいくらいのレベルである。
どのチームも判で押したような戦い方ばかり。ノーアウトでランナーが出れば必ずバント。決まったタイミングで同じ投手が出てきて終了。こうなれば次の交替は誰、この打者へのサインは何、などと素人が考えても展開がわかるようになる。こうした戦い方を“アホ采配”というのだ。
特に最近は「勝利の方程式」という決まり文句を使うが、私はこれが一番気に入らない。勝負事に方程式などあるわけがない。マスコミの責任も大きいが、そんなものがあると考えるから型に嵌めてしまい、勝負の醍醐味を失わせるのだ。
常々私は、日本における野球の基本は「将棋」にあると考えている。将棋は目先の手だけでなく、その先の相手の手を考えねば勝てない。こうした戦術の読み合いこそが、面白さに繋がっているのである。
アメリカの野球はいわば「ポーカー」。次に何を引くかが分からない賭けのようなもので、戦術の読み合いよりも力と力のぶつかり合いを優先する。日本人にはこうした力勝負は無理だ。だからこそ日本のやり方、戦術の読み合いこそが面白さに繋がるというのに、それが簡単に読めるような“アホ采配”では、面白くなるわけがない。
※週刊ポスト2012年11月9日号