かつて自民党から政権を奪った細川護煕元首相、鳩山由紀夫元首相は改革を期待されながら、1年足らずで政権を投げ出した。国民には橋下維新への期待がある一方で、「どうせ総理になっても何もやれないのでは」と感じてしまうトラウマがあるのも事実である。
なぜ、改革派政権はいつも挫折するのか。
総理大臣として国家の仕組みを根本から作り直す「本当の改革」は、いわば超高層建築のてっぺんで作業するとび職の仕事に似ている。総理大臣という最高の権力は、そこにいるだけで目がくらむ高さである。最も恐ろしいのは、最高権力者である自分の指示や意向が官僚組織にも、時には大臣にさえ全く通じないとわかった時だろう。
鳩山氏は普天間飛行場の県外・国外移設を指示したが、閣僚と官僚の造反で退陣に追い込まれた。細川氏は大蔵官僚の振り付けで国民福祉税構想を発表したが、こちらは与党の猛反発で断念。やはり退陣に向かった。
総理になって「自分の言うことは何でも通る」と思っていた素人宰相が陥りやすい陥穽である。その地位に立って自分の方針を貫くには、霞が関にも与党にも有無を言わせぬ「力」がいる。
5年5か月の長期政権を誇った小泉純一郎首相でさえ、霞が関に対して権力を持ったのは、2005年の郵政選挙で大勝した後のわずか3か月間ほどだったといわれる。
「官僚が総理の力を計るのは、与党にどのくらいの影響力を持っているか。与党が一致して総理の方針を支持すれば官僚は正面から抵抗できない。小泉氏が郵政選挙で反対勢力を駆逐し、自民党内に圧倒的な力を得た後の3か月ほどは、官僚は総理の顔色をうかがい、その言葉に無条件に従った。しかし、小泉氏が次の総裁選に出馬しないことがわかると、急速に求心力が落ちていった」(財務省OB)
総理大臣がやりたい政策でも、議会で法案を成立させなければ何一つ実行できない。特に霞が関が抵抗する改革は、多数派の与党をいかに掌握するかで成否が決まる。
※SAPIO2012年11月号